西岡城
城 主 熊谷下野守直房
陣 主 丹羽五郎左衛門尉長秀
賎ヶ岳合戦時に陣城として改修かも・・・
愛車は公民館の端をお借りしました
が
登城口脇の神社に
駐車できました
↓足利尊氏によって京を追われた新田義貞軍の一部が戦没
本隊に遅れていた河野・土居・得能三将が率いる300騎は
雪が降りしきるなか、塩津の谷で、敵軍に取り囲まれて自害した
発見された石塔は錯乱状態であったが
村の有志が現在の「地・水・火・空」風輪の組み合わせに
再建当時の推測らしい
では 登城
城域は神社から北側ですが
先ずは 遠回りして
西尾根をまわる 古道らしきを・・・
↓南城の虎口か?
↓南城は二段の曲輪で構成
↓本城の南側尾根 堀切
↑両端が竪堀となる堀切
↓ ↑堀切脇を北へ進むと北の曲輪虎口へ
↓北の曲輪北尾根の堀切
↓中央西斜面切岸
↓土塁囲みの北の曲輪
↓北の曲輪から見た主郭方面
↓主郭東下段の三方土塁囲みの小曲輪
↑その東側下段には横堀が・・・↓
↓東尾根の堀切
↓北側へ落した竪堀
↓南側へ落ちる竪堀は三条ほどあり
三方の尾根を堀切で守る
かなり技巧的な縄張りとなってます
特に主郭まわりの 曲輪・虎口・土塁などの配置
目を見張るものがあります