最近、日本人のノーベル賞が話題になっています


 新聞記事に新聞


 ノーベル賞についての記事が有りましたので


 自分の覚えとして載せておきます


 

ノーベル賞は、こうして誕生した



 スウェーデンのアルフレッド・ノーベルは


 1833年、ストックホルムに生まれ、 1896年に亡くなった。



 19世紀で最も重要な発明の一つとされる


 ダイナマイトを世に送り出しダイナマイト


 これを世界中に売り広め普及させ、その結果莫大な富を築いた。お金



 そして死後、遺産でその大部分を投じて


 ノーベル賞という当時としては全く前例のない


 画期的な国際賞を創設した。メダル



 そしてそれは第一次、第二次世界大戦の銃


 困難な時期をも乗り越えて面々と続き


 世界最高の権威と栄誉の賞として、今年115回目を迎えた。



 人類が初めて手にした強烈な爆発力を持った


 ノーベルのダイナマイトは、バクダン


 一つは鉄鉱石、石炭、銅など地下資源の採掘、


 開発等 鉱山業の分野で発揮し


 他方、鉄道、トンネル、 地下鉄、運河建設等土木の


 分野で世界のインフラ建設に大きく貢献した。



 産業界でのダイナマイト需要の脅威的な急拡大に呼応して、


 ノーベルは世界各地にダイナマイト製造工場を建設して工場


 その普及、拡販に力を注ぎ、巨万の富を築くお金



 そして、その死後、世界20カ国に93のダイナマイト製造工場と


 355件の特許を含む、3300万クローナ(現在の価値で300から350億円)


 という当時としてはヨーロッパ最大と言われた巨額の遺産がのこされた


 

 巨額遺産の行方はいかにと国中が注目する中目


 遺書が開封されたのだが、遺贈は甥、姪6名と


 知人合わせて19名、総額で全体の5%にも満たないものであった


 (ノーベルは生涯結婚はしなかったので、妻子は無し。


 両親、兄弟もすべて他界)


 

 そしてその後に記されていたのがノーベル賞の構想である


 「残りの換金可能な私のすべての財産をもって基金を創設し


 その利子は毎年、物理学、化学、医学生理学、文学、平和の


 五つの分野で人類にもっとも大きな貢献をなした人に賞の形で


 与える」というものであった



 この遺産の内容が国中の知るところとなると大きな非難、


 反対論の嵐となった。



 その主な物は


 ①遺族の猛反対、取り分が少なすぎる


 ②外国人にこのような大きな名誉の賞を与えるとは何たることか


 ③選考期間に指名された学術団体などの反対、非協力の態度


 ④平和賞の選考をノルウェーに委ねたことへの非難


 などがある



 多方面から大きな非難の渦巻く中、極めて重要な役割を


 果たしたのが遺言執行人でノーベルの信頼極めて暑い


 部下であったラグナール・ソールマンで、


 多くの利害関係者をねばり強く説き伏せて、ノーベル賞の


 死後3年半にしてようやく遺言実行機関の元締めとして


 ノーベル財団の設立が認可された。


 

 そして死後5年、1901年12月10日、


 ノーベルの命日の日に第1回ノーベル賞授与式がおこなわれた。


 以来、今日までノーベル賞は、


 ノーベル財団と選考期間の真摯な努力の積み重ねによって


 世界最高の権威と栄誉の賞として輝き続けているきらきらきら~♪



 

 私は、ダイナマイトと言えば、ガリバー旅行記の


 第二篇 ブロブディンナグ国渡航記の中で出てくる



 

 ガリヴァーはあらゆる物が巨大な、巨人の王国

 ブロブディンナグ国に上陸し

 ブロブディンナグ国の国王が、ガリバーに関心を抱き、

 イギリスの社会、戦争、司法、金融制度に関わるあらゆる事柄を

 聞き出す。

 その中で、火薬の製法を教示しようというガリヴァーの提案は

 ブロブディンナグ国の国王を特に戦慄させ、

 人類をかつて地球上に置かれた最も哀れな種族である

 という思慮を国王から導き出す。


 

 というシーンを思い浮かべてしまいます

 ダイナマイトは、産業革命や、

 インフラ整備の力となったかもしれませんが

 一方で、戦争に使える武器としての役割も


 大きかったように思います

 その負の部分をノーベルが感じたが故に


 自分が貯えた巨額な財産を

 正しい物に変えたかったのではないでしょうか



 世界的に有名な賞が、

 武器に使われるノーベルのダイナマイトによって

 作られているのを知った時はとてもショックでしたあせる