娘が亡くなってから心から笑う事はないが、仕事復帰(パート)して日常生活が回り始めると
職場の人も今まで通りの会話をしてくれるようになり、何か面白いことを言われれば笑顔で返せるしなんだったら冗談も言えるし笑っている。自分がいる。
いわゆる普通のふりが、どんどん上手になっていく。
複雑な気持ちを抱えて思い出すのが昔見た、赤毛のアンのアニメでアラン夫人とのアンとのやりとりのシーン
マシューがなくなって、アンが悩みをアラン夫人に打ち明ける場面。
このシーンをもう一度見たくて、最近やっと見ることができた。心に染みた。
※アラン夫人とは、ステイシー先生と並ぶ並ぶアンの恩人、いろんな場面でアンの相談相手になっている牧師さんの奥さんです。
今日だって、ダイアナがおかしなことを言うので、気がついたら、笑っていたんです。あんなことがあったときは、もう二度と笑えないだろうと思ったのに。それに、なぜか笑ってはいけないような気がするんです」
「マシューは、生きていた頃、アンの笑い声が好きだったでしょう。それにアンがまわりの世界の楽しいことに歓びを感じると、喜んでいたでしょう」アラン夫人は優しく言った。
「いま、マシューは、ちょっと遠くにいるだけなのよ(4)。彼の好きなものは、変わらないわ。傷を癒(いや)そうとしてくれる自然の力から、心を閉ざしてはだめよ。でも、アン、あなたの気持ちはよく分かるわ。みんな同じ経験をするものなのよ。歓びを分かち合ってきた愛する人が亡くなると、楽しい気分にしてくれるものを遠ざけたくなるのよ。だから人生の生き甲斐(がい)がまた戻ってくると、悲しみに不誠実なような気がしてしまうんですよ」
松本侑子さんのホームページ赤毛のアン 本文紹介より。こちらに第37章全文掲載されてます!
私にはアラン夫人が言うような人生の生きがいは戻ってきていないが、食べ物を食べておいしいと思ったり、一息つく時間があったり、当初より確実にくつろぎの時間は存在している事はわかる
大切な人を失った悲しみ、思いや悩みは
世界共通、そして昔からずっと変わらない。そんなことを思った。