Fire

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アメーバー利用者のみなさんはじめまして。
このブログでは、何かしら普段の生活で感じたことをブログにしてお届けしようと考えています。更新は不定期、どんな内容かもその時次第です。
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  今回は、日本の英語教育の観点から、私の思ったことを率直に記そうとおもう。
   なかには、こんな素人の一意見には賛成しかねるというユーザーもいるであろうことを前もってお断りしておきたい。
   さて皆さんは、今現在の学校や塾でやられている英語教育をどうお考えだろうか。
いわゆる文法重視の英語力のことだ。
   この時はどんな意味になって、ということを叩き込む。でも、受験(ここではセンター試験など)を越えれば全くと言って良いほど使われなくなる。
   私は、中学や高校時代に通っていた塾での典型的とでもいうべき文法重視の英語は何のために行うのか、意味を見出せないくらい嫌いであった。というのも、あまりの完璧主義のように思えてならなかったからだ。例えば、単語一つとってみてもそうなのであるが、ミスが悪いことかのように言われるのも少なくは無いのだ。
   それでいて受験を終え、今でも頭に残った単語というのはごく僅かでしかない。
知識とは儚いものだと思わずにはいられない。
   皆さんはここまで読んでどう感じただろう。様々な意見があるとは思う。この先読み進めてく上での解釈は読者の皆様にお任せするが私は、日本の英語の学習法も一つだろうが、損をしている部分があるように感じる。
   その損とは、せっかく知識はあっても、声に出して話したり、聞いたり、書いたりする機会に乏しいということだ。その乏しい部分が、受験のようないわゆる点数化される部分では多く正解できるにも関わらず、実際には話すことすらままならない『英語力の伸び悩み』として表れているのではないかと考えている。実際、私の通う大学には、英語をネイティブの教授と話すことを通じて力を伸ばすことを目的とした教室があるのだが、その教室にくる人数は実にごく僅かである。理由は英語が出来ないから。
   しかし本当にそうなのであろうか。受験などの問題を解ききる能力があるはずなのに英語が出来ないはずがない。
   要するに、失敗をタブー視する今の日本の英語教育のやり方が完璧に使えるまでは使ってはいけないという固定観念を植え付けているのであり、実際にアクティブの場(ここでは、話す 聞くなどの会話で使う英語)を遠ざけているのではないだろうか。
    では、私が実際に行うことはといえば、英語圏の国(アメリカ、カナダ、イギリス)のラジオをアプリを通してひたすら聞くことと、たまには日記を何もないところから英語で書いてみること、ディクテーションと言って、流れてくる英語を書き取ることである。
   お恥ずかしながら、ラジオから聞こえてくる英語は早いし難しいから何を言っているのか全くわからない。因みにここでのラジオとはTunein Radioという世界10万局のラジオ局が聞き放題のラジオアプリの事だ。無料版もある。さらにいうと、英語での日記に関しては中学ぐらいの文章を扱うのがやっとでとても英語好きですとは言い難いレベルである。でも、大きく変わったことは、知らない単語や文章への抵抗が取り組む前より薄れたので間違いはあまり気にしなくなったことかもしれない。
   かつて、高校時代の塾の講師に、様々なような要因が絡み合って英語力はつくとよく言われた。今になってこのことかと思えてきたところだ。そして不思議なことに講師に貰った言葉が現在の英語学習の糧になっているのだ。
   今回の記事はあまり賛成される読者はいないだろうと私自身思っている。しかし、もし賛成してくださる読者がいるのなら是非実践の第一歩としてくれれば、これ以上の喜びに勝るものはない。