私、3歳ぐらいから小学校に入学するまで和歌山県田辺市で育ちました。
その後大阪に戻り、現在に至るのですが、今回は以前から考えていたことを実行しました。
バイクで田辺市まで行き、自分が幼い頃に住んでいた場所、そして良く遊びに連れて行ってもらった海岸の施設などをもう一度見てみたい。
もちろん、住んでいた家も海岸の施設も当時のままではないだろうし、開発などで周辺の状況も変わってしまい、行っても何も分からないかも知れないけど、今行っておかないともう行けなくなるかもしれないという気持ちもあり、決行しました。
ルートは赤が往路、青が復路で
走行距離 : 約400㎞
時 間 : 約15時間
早朝、4時過ぎに自宅を出発し、中央環状線~府道36号線~国道26号線と走ります。
関西空港自動車道やJR関西空港線をくぐります。
左に行けば大阪と和歌山を結ぶ阪和自動車道、右に向かえば関西国際空港です。
26号線は阪南市鳥取中付近からバイパスとなり、高速道路のような快適な道になりますが、悲しいかな原付二種は走れないので府道752号線へ迂回します。
「道の駅 みさき」で初めての休憩を。
まだ時間的に早いので停まっている車は疎らでした。
ここで持参したポカリとバナナで熱中症対策を(^^)
その後、昨年の3月末で閉園した みさき公園 の前を通り、深日中央の交差点を左折して和歌山市内を目指します。
大阪府・和歌山県の境を通過していよいよ「水の国 わかやま」へ突入します!!
朝日に照らされた紀の川を渡り
和歌山城の横を通り
海南市の海沿いの国道42号線の渋滞で時間をロスしながら、有田川を渡り、しばらく堤防の上を走って醤油発祥の地 湯浅市へ。
このまま42号線で御坊市を目指すつもりでしたが、嫁さんから
「田辺に行くんやったら海沿い走るやろから、海の写真撮って来て!!」
とのLINEが来たので、白崎海洋公園に向かうことに。
白崎海洋公園はモンキー購入直後に慣らしを兼ねてやって来たことがあるので、約2年振りの訪問となります。
今回、風は吹いてませんでしたが、その代わりに暑かったですよ(^^;
公園を出て、トンネルをくぐったその先の海岸。
波が岩で砕けて白い飛沫になってました。
しばらく海岸線沿いを走り、大きな船を作っている造船所の横を通って42号線に戻り、御坊へ。
今回、田辺探訪の前に見たかったものが、ここJR御坊駅から出ている、日本一短いローカル私鉄である『紀州鉄道』です。
この紀州鉄道は鉄道事業の他に、ホテル事業、スポーツ・保養施設の経営など多岐にわたる事業を展開している東京に本社を置く企業ですが、鉄道として元を辿れば昭和6年に御坊臨港鉄道として開業したもが始まりです。
その後、経営不振等があり、紀州鉄道が買収して現在に至ります。
ちなみに紀州鉄道の路線は
距離 : 2.7km
駅数 : 5駅
御坊駅から次の駅になる 学門駅 に行きます。
なんか工場の軒先みたいなホームですね。
駅舎は無く、道路からダイレクトにホームにアクセスできます。
昼間の時間帯、1時間に1本のダイヤですが、運良く列車がやって来ました。
思っていたより綺麗でまだ新しいように思う車輛でしたよ。
気になって調べたら、この車両は信楽高原鐵道から譲渡された車輛で、地方ローカル鉄道で使われている車輛としては若い車齢のようです。
その後、終着駅の西御坊へ向かいます。
現在、ここが紀州鉄道の南側の終点ですが、以前はもう一駅先が終点でした。
大和紡績和歌山工場専用線がそれで、工場から貨物を運搬していたんでしょうね。
駅舎の片方の入り口のすぐ横に踏切があります。
御坊方面
ホームと車止め
車止めから先にも大和紡績和歌山工場専用線だった線路がそのまま残されています。
撤去する費用を惜しんだのか、単にのどかなのか?
次の列車を待ってまで乗りたいとも思わないし、一応走る姿も撮影できたので、これで紀州鉄道の取材は終了です(^^)
御坊からまた42号線を南下し、本日の目的地である田辺市に到着です。
この町に住んでいた幼かった頃の駅の状況は記憶にありません。
薄っすらと憶えているのはまだ蒸気機関車が走っていたような・・・
先に駅前通りにある 御菓子司 鈴屋 さんでお土産を購入しておきます。
行く前に田辺の土産物で検索した結果、鈴屋のデラックスケーキがヒットしたので、それの3個入りを2つ。
ケーキをホワイトチョコでコーティングしたもので、上品な味が好評とか。
私は食べませんでしたけどね(^^;
さて、肝心の旧宅と海岸の施設探しですが、まず海岸に行ってみました。
当時も泳げる砂浜でしたが、こんなに綺麗じゃなかったです。
たまたま日陰に座っておられたご老人を見つけたので声を掛けてみました。
とんべ : 「突然失礼します。 地元の方ですか?」
ご老人 : 「そうら」
とんべ : 「私、昔にこの辺りに住んでいたんですけど、海岸にカッパセンターって
ありませんでしたか?」
ご老人 : 「ここがそうらよ。この建物」
とんべ : 「こんな立派なものになってたんですか?! ありがとうございました。」
後がその建物で
これが昔のカッパセンターに近いイメージの施設。
昔も舞台があって、夏などはバンドの演奏などもやっていたような記憶があります。
これでひとつは解決しました。
もうひとつ、一番大事な 当時住んでいた家がどうなっているか?
カッパセンターの場所が分かれば、そこから家までのルートは頼りないながらも覚えているので、その記憶を頼りにここと思う道を走りました。
で、見つけましたよ!!
もちろん、当時の家、と言うか、住んでいた建物は無くなってましたが、前後の道の様子、道沿いに建つ古い屋敷、方角等からここで間違いないと確信出来ました。
あれから半世紀以上経って、また戻ってきました。
全てが変ってしまっていたけど、間違いなくあの頃、ここで生活していたんです。
家の場所はここで間違いないと思いながらも、念のために家から紀伊田辺駅への経路も走りました。
当時は広い商店街だと思っていたものが、それほど広い道幅では無かったにしても、駅への曲がる方向など、記憶の中身と一致したし、自分の中では決定でした。
自己満足なことなんですけど、判明できたことで本当にスッキリとした気持ちになれました。
わざわざ来た甲斐があったってもんです(^^)
さて、復路は42号線で有田川町まで帰り、そこからは42号線を外れ、国道424号線で山の中を走って紀の川市を目指しました。
途中で、遅い昼食を。
と言っても、田辺市内のコンビニで買ったサンドイッチだけですけどね(^^;
紀の川を渡り、ジェットコースター坂で有名な 紀の川広域農道 で高低差を楽しんだ後、国道480号線の鍋谷トンネルで和歌山県から大阪府に戻り、渋滞の国道170号線(外環状線)で帰宅しました。
これまでのモンキーで最長の走行距離でしたが、以前から思っていたことを実行でき、成果もあってスッキリとした気持ちになれたので大満足の一日でした。
次は紀伊半島一周かな?( ̄▽ ̄)