わたし小さい頃から、

 

深いことを考えることが怖かった。

 

 

だから外側の、楽しいことにだけ目を向け、

感覚を麻痺させようとしていた。

 

 

だって難しいことを考えて、

 

わたしの中に眠る真実、本質の、核となる部分を知ってしまったら、

もう存在してよいのか分からなくなると思ったから。

 

 

でも、大人になって、

 

人生の大困難にぶちあたったら、

ウソの自分では乗り超えれない、このまま進めれないことに気づいた。

 

 

 

そしてその荒波を乗り越えるため、

 

やらなければならないことは、

 

本当の自分、奥底に眠る真実の自分の姿を知り、触れることだった。

 

 

逃げだしたら、

わたしの娘を正しい方向に導くことができないと直観で感じた。

 

自分のことはよいが、

子どもがうまく生きれないのは、決して許されなかった。

 

逃げることは絶対に許されなかった。

 

 

 

奥底に眠る真実の自分に触れることは、

大変孤独で、大変恐怖な時間だった。

 

ほんとうなら逃げ出したかった。

 

 

だって、本当の自分を覗いて、見えてきた自分が、

 

存在する価値がない、

 

という答えだったら、どうしようと思ったから。

 

 

 

でも、丁寧に丁寧に、自分と対話し、どんな自分でも、それでよい、

 

存在してよい、

という答えが出たとき、

 

涙が出た。

 

 

 

その答えを得るため、

長い長い、つらい、孤独な時間だった。

 

ただ存在してよい。

 

 

自分だけではなく、

 

この世界に存在するあらゆるものに対しても。

 

 

存在してよい。

 

 

そうゆうことだったんだ、と悟った。 

 

 

ほのかに温かい、ほんわかした安堵な気持ちだった。