人の一生は最期に顕れると、幼い頃聴いたことがあります。
先日88歳の父が彼岸へ旅立ちました。晩年は煙草の吸い過ぎで肺の病に冒され、誤嚥性の肺炎にも
なりました。煙草の害は重々承知のくせに、「これとは、切っても切れないんだよ!」と笑っていたのを思い出します。
小学校へ上がって間もない頃、気付くと父の姿がなく、そのうち母は勤めに出ました。赤いリボンのついた鍵を首にぶら下げて、妹と二人母の帰りを待ったものです。2年後両親は離婚が決まり、私は父の元へ妹は母と残ることになりました。
父の元には、美しく聡明な新しい母が居てやがて10歳違いの妹が生まれました。私は、中学と高校が一つになっているミッションスクールに入り、そこの寄宿舎で学生生活の殆んどを過ごして滅多に帰宅しなくなりました。
継母はそれでも一生懸命「口を酸っぱくして言うのはあなたが憎いのではない。あなたがちゃんと自立出来るように。」と苦言を呈してくれました。働かざる者食うべからずと言い、年令に相応しい仕事を与えてくれました。今こうして日々の生活を感謝しながら送らせてもらえるのも、あの頃の毎日があったればこそと思います。
その後実母や妹と再会することができ、また父方の伯父を頼って両親の郷里に移住したので東京は
遠い存在になっていました。けれど、父の病状が進み「会わせたい人が居るならまだ意識のあるうちに呼んだ方がいいですよ」の医師の助言で東京に居る2人の妹と私の3人が初めて対面することに
なりました。
父は意識も混濁し、あちこちに小さい脳梗塞を起こしていて喋ることもなく大分認知が進んでいるようでした。それでも、幼い時に置いてきた妹を僅かではあるけれどわかったようで、一同ほっと安堵したものです。下の妹は「こんな形で三人会いたくなかった‥」と言い、「それでもパパのおかげで姉妹として出会えたのだから」と私が言い、何とも言い難い不思議な場面ではありました。
私と上の妹は、実母から事の次第を聞いていてそれなりに自分の気持ちに折り合いをつけてこれました。が腹違いの妹は、大きくなってから自分には父の違う兄と母の違う姉とがいること、父と元妻(私の母)と母(継母)は学校が同じで親しかったことなどを今さらながら知らされることになり、こちらの方が青ざめてしまいます。世の中には何にも悪いことしてないのにどうしてこの人がこんな目に遭わなきゃいけないのだろうと思うことがよくあります。下の妹には、そんな気持ちをだいてしまいます。
今日、実母と電話で話をしました。(継母は7年前に他界しています。)
「煙草が体に悪いって分かってて辞められないのってあれだねぇ、欲望を断ち切れないって言うか業が深いんだよね!」「私に冷たかったのは分かるけど、あんなに愛し合って一緒になったのに優しくしてあげられなかったなんて、人間て変わらないものなんだね!」「あれだねぇ、どうなんだろう?しあわせだったのかなぁ?」「なんか散々大騒ぎしておいて大事にしてあげなかったって聞いてがっかりしちゃうなぁ~」そんなことを母は言いました。
悲しくないわけではない、でも父の印象が余りなくて自分が非情に思えてしまう。葬儀の施主は腹違いの下の妹が行ったので、実母と暮らす妹は葬儀そのものには参列できませんでした。その下の妹と話すことは、なぜか継母のことばかりで、一体誰を偲んでいるのだろうと思ってしまいました。それぞれの母を理解できるのは、私が同じ女だからだろうか?それとも、たちばの違いはあれ母たちは必死に生きる姿を見せ、声を気持ちをかけてくれたからか?
父の戒名は 至浄院釈遊西信士 。遊の字を見て「いいんじゃない?パパにピッタリ!」と笑った妹の笑顔が忘れられません。六道輪廻でどうぞ苦しむことがありませんように、人として皆から尊敬されていた祖父の元へ逝けますようにと祈るばかりです。
先日88歳の父が彼岸へ旅立ちました。晩年は煙草の吸い過ぎで肺の病に冒され、誤嚥性の肺炎にも
なりました。煙草の害は重々承知のくせに、「これとは、切っても切れないんだよ!」と笑っていたのを思い出します。
小学校へ上がって間もない頃、気付くと父の姿がなく、そのうち母は勤めに出ました。赤いリボンのついた鍵を首にぶら下げて、妹と二人母の帰りを待ったものです。2年後両親は離婚が決まり、私は父の元へ妹は母と残ることになりました。
父の元には、美しく聡明な新しい母が居てやがて10歳違いの妹が生まれました。私は、中学と高校が一つになっているミッションスクールに入り、そこの寄宿舎で学生生活の殆んどを過ごして滅多に帰宅しなくなりました。
継母はそれでも一生懸命「口を酸っぱくして言うのはあなたが憎いのではない。あなたがちゃんと自立出来るように。」と苦言を呈してくれました。働かざる者食うべからずと言い、年令に相応しい仕事を与えてくれました。今こうして日々の生活を感謝しながら送らせてもらえるのも、あの頃の毎日があったればこそと思います。
その後実母や妹と再会することができ、また父方の伯父を頼って両親の郷里に移住したので東京は
遠い存在になっていました。けれど、父の病状が進み「会わせたい人が居るならまだ意識のあるうちに呼んだ方がいいですよ」の医師の助言で東京に居る2人の妹と私の3人が初めて対面することに
なりました。
父は意識も混濁し、あちこちに小さい脳梗塞を起こしていて喋ることもなく大分認知が進んでいるようでした。それでも、幼い時に置いてきた妹を僅かではあるけれどわかったようで、一同ほっと安堵したものです。下の妹は「こんな形で三人会いたくなかった‥」と言い、「それでもパパのおかげで姉妹として出会えたのだから」と私が言い、何とも言い難い不思議な場面ではありました。
私と上の妹は、実母から事の次第を聞いていてそれなりに自分の気持ちに折り合いをつけてこれました。が腹違いの妹は、大きくなってから自分には父の違う兄と母の違う姉とがいること、父と元妻(私の母)と母(継母)は学校が同じで親しかったことなどを今さらながら知らされることになり、こちらの方が青ざめてしまいます。世の中には何にも悪いことしてないのにどうしてこの人がこんな目に遭わなきゃいけないのだろうと思うことがよくあります。下の妹には、そんな気持ちをだいてしまいます。
今日、実母と電話で話をしました。(継母は7年前に他界しています。)
「煙草が体に悪いって分かってて辞められないのってあれだねぇ、欲望を断ち切れないって言うか業が深いんだよね!」「私に冷たかったのは分かるけど、あんなに愛し合って一緒になったのに優しくしてあげられなかったなんて、人間て変わらないものなんだね!」「あれだねぇ、どうなんだろう?しあわせだったのかなぁ?」「なんか散々大騒ぎしておいて大事にしてあげなかったって聞いてがっかりしちゃうなぁ~」そんなことを母は言いました。
悲しくないわけではない、でも父の印象が余りなくて自分が非情に思えてしまう。葬儀の施主は腹違いの下の妹が行ったので、実母と暮らす妹は葬儀そのものには参列できませんでした。その下の妹と話すことは、なぜか継母のことばかりで、一体誰を偲んでいるのだろうと思ってしまいました。それぞれの母を理解できるのは、私が同じ女だからだろうか?それとも、たちばの違いはあれ母たちは必死に生きる姿を見せ、声を気持ちをかけてくれたからか?
父の戒名は 至浄院釈遊西信士 。遊の字を見て「いいんじゃない?パパにピッタリ!」と笑った妹の笑顔が忘れられません。六道輪廻でどうぞ苦しむことがありませんように、人として皆から尊敬されていた祖父の元へ逝けますようにと祈るばかりです。