●11月の「ははむす♡しまこ会」は、11月17日(月)13:30〜開催いたします。
わたしは、子どもの頃よく両親に殴られていました。
理由は…あまり覚えていませんが、昨日と今日ではルールがガラッと変わる家だったので、理不尽なものが多かったと思います。
布団たたきや、孫の手、時にはお玉…
家中を追いかけ回されて、追い詰められて、
叩きのめされるのです。
素手の時もありました。
叩かれて腫れ上がった私の太ももよりも、
叩いた自分の手のほうが痛いんだぞ!と、
母はよく言っていました。
そんな時、痛くて、怖くてわたしが泣くと、
更に殴られる。
「泣くな!!お前が悪いくせに!」
と言われ、泣けば泣くほど辛い時間は長くなり続いていくのです。
そうして、わたしはだんだん泣かなくなりました。
ただただ親の気の済むのを待つ…無の時間。
でも、それはそれで「子どもらしくない!バカにしてるのか!?」と怒られる…
もう、どうしろと?な、状況ですが、そんな風に「泣いてはいけない」は、わたしの中で生き抜く為に生まれました。
また嬉しい事があっても、けなされて台無しにされたり、喜んでいるのが許せないと怒られるので、
嬉しい気持ちも、悟られないように隠していました。
小さな恋をした時も、悟られて相手の方のお家に怒鳴り込まれたので、幸せな気持ちこそ、両親にバレてはいけないんだと必死でした。
そんな事が当たり前で日常になると、大人になってもなかなか自分が何を感じているのか?が、分かりにくいことがありました。
よく言われたのが、「そんなに悲しい話を、笑って話せるのはなぜ?」でした。
自分の気持ちを話す時
家族の話をする時
その場から離れたくなるほど辛い時
そんな時、わたしはよく笑っていました。
話すことで、悲しい気持ちを感じないように、
聴いてくれる相手にも、重くならないように必死だったのだろう…と思うのです。
それに気付いた時、たくさん泣きました。
これまで、自分をこうして守ってきたんだな…
それが分かると、今度は話そうとすると涙で話せなくなる事が多くなりました。
自分の気持ちを感じないように、
それどころではない戦場のような家庭の中を生き抜いてきたんだな…
わたし、頑張った…
生きてくれて、ありがとう。
今のわたしは、年齢のせい!?もあって、
涙腺のゆる〜い人になってしまいました。
朝ドラを観ては、朝から涙が止まらず
メイクができない〜なんて、ボヤいたり…
でも、それが今のわたしには嬉しいのです。
もう泣いていいよ。
ぴょんぴょん飛んで喜んでいい。
ぶりっこで怒ったっていい。
たくさん甘えていいんだよ…
自由にそれができなかった頃のわたしに
「ありがとう。あなたのおかげ」
そう言って、抱きしめてあげたいのです。
小さな頃、我慢した気持ちは自分自身の心を守ってくれています。
どんな時に、どうやって守ってきましたか?
本当は、どんな風に感じたかったですか?
守ってくれたフタに、たくさん感謝をして、
もう大丈夫、もういいよ…と安心させてあげましょう。
ゆっくり少しずつ、感じても大丈夫な事を増やしていきましょうね。
もちろん、テーマではないけど話したい事でもお話してくださって大丈夫です。
今、心の中に重く残っているものを置きにきてくださいね。






