令和初となったクリスマスの夜。

 

2日間、みなとみらいの夜空には花火があがりました。

 

・みなとみらいの聖夜彩る花火 高層ビル群で全館点灯も(カナコロ)

 

新港ふ頭客船ターミナル「横浜ハンマーヘッド」の開業を記念したイベントの一環だったようです。

 

冬は空気が澄んでいるから、夏よりも綺麗に見えるような気がして、

 

私は冬の花火がとても好きです。

 

寒いですけど。冬のみなとみらいはめちゃくちゃ寒いですけどね。

 

おめかししてトニセンのディナーショーにお出かけされた皆さんは、大丈夫でしたでしょうか。

 

風邪などひかれていませんように。

 

 

トニセンの皆さまも、ディナーショー完走、お疲れ様でした♡

 

しばし、ゆっくり。。。はできませんね;;

 

明日の『Mステスーパーライブ』でテレビ越しに会えるのを楽しみにしてます♪

 

 

 

さて。

 

横浜の夜空に花火が上がり、近くでトニセンのディナーショーが行われた昨日の夜。

 

毎年この時期に恒例となっている、小田和正さんによる、TBSの音楽番組『クリスマスの約束』が放送されました。

 

この番組が始まったのは、2001年。

 

今年で17回目です。

 

※昨年、2018年は、放送なし。

全国ツアー『Kazumasa Oda Tour 2018 Encore!!』の大阪公演が地震の影響により年明けに延期され、その後、5~7月にかけて追加公演『Kazumasa Oda Tour 2019 Encore!! Encore!!』が決まったことにより、準備期間が取れなかったため。

代わりに同じ制作チームが手がける特別番組として、3月に『風のようにうたが流れていた』が放送されました。

 

 

自分でもびっくりしたんですけど。。。

 

私は初回から毎年欠かさずこの番組を拝見してきました。

 

母が観たいと言ったからなのか、自分も観たくてだったのか定かではありませんが、

 

奇しくも放送がなかった昨年、初めて小田さんのコンサートに行かせていただけたのも何かのご縁だったのかなと思います。

 

 

 

今ではゲストが数組がいるのがお馴染みとなった『クリスマスの約束』ですが、

 

初回放送の際、小田さんは、有名アーティスト7組(SMAP、福山雅さん治、桑田佳祐さん、松任谷由実さん、宇多田ヒカルさん、桜井和寿さん、山下達郎さんの7組)に、自ら丁寧な直筆のお手紙を書いて、出演依頼をされていました。

 

そのお手紙というのがこちら。

 

 

前略

突然の勝手な手紙を出す無礼をお許しください。

TBSから、現在、ある音楽番組をやれないか、という打診がありました。

そして考えました。自分の歌を歌えばファンの人は喜んでくれるだろうけれど、それは目指すものではなさそうだ。

そして、さらに考えました。僕等のような音楽をやって来た者にとって、今、大切な事は何だろうと思ったのです。それは同じ時代を生きてきて、音楽を創った人達を認め、愛し、尊敬することなのではないだろうかと。それをこの番組で表現できないかと。それなら引き受けてみようと。これは、僕の主観でやろうとしている番組です。偏見を承知で、批難を覚悟の上で、無数にある名曲から一方的に7曲を選びました。

時代を創ってきた素敵な音楽達を。それで、あなたの曲をその一曲に選ばせてもらいました。

 

随分と前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

この曲を一緒に演奏してもらえないだろうか?というお願いの手紙だったのです。これは、あいつがだめだったらこいつという企画ではないし、もし残念ながら、あなたの不参加が決まったら、自分ひとりで演奏するつもりで望んでいます。

アーティスト同士が直に触れ合うことで進んでいける場所がある。

音楽としても、音楽という文化の確立としても。そう信じています。

それが見ている人に伝わるように全力で尽します。たとえ出演を断られたとしても、あなたへの尊敬の気持ちは些かも変わりません。

秋も深まるばかり。風邪などひかぬよう、充実した活動を続けてください。

 

— 2001.10.5 小田和正

 

 

これだけのキャリアがあるにも関わらず、なんて実直で謙虚な方なんだろうと思ったことを今でもよく覚えています。

 

結果的に、すべてのアーティストから出演を辞退されたため、小田さんがカバーする形で歌われていました。


後々、 福山さん、山下さん、桜井さん、それから宇多田さんのお父様から、丁重なお返事が届いたそうで。。。

 

 

(一部引用)

もともとこの曲(「クリスマス・イブ」)は、オフコースに触発されて作ったものです。青山のアパートの一階がオフコース・カンパニーで、二階に私の所属事務所があった時代でした。あの頃は私も30歳になったばかりのとんがった盛りでした。バンドで挫折した私にとって、オフコースはとても重要なライバルで、敵(「失礼!」)がバンドのコーラスなら、こっちは1人でとか、そういったしようもないことを若気の至りでいろいろと考えたものでした。

長い時を経て、小田さんにこの曲を歌っていただける時代になったとは、本当に感慨無量です。

 

— 2001年10月20日 山下達郎

 

 

当時、小田さんは、「この手紙は、番組に出てくれたのと同じくらいの価値がある」と。

 

 

また、ミスチルの桜井さんは、

 

(一部引用)

小田さんが数多くある曲の中から、僕らの曲を選んでくれたことを心の底から嬉しく思っています。嬉しいあまり小田さんから頂いたお手紙は、曲をつくるときに使う電子ピアノの譜面台に飾ってあります。

『クリスマスの約束』では、ご一緒することができませんでしたが、小田さんの音楽と、僕らの音楽は、もうつながっているのだと思っています。つなげてくださったのは小田さんです。心から感謝しています。ありがとうございました。

 

— 2001.12.26 Mr.Children 櫻井和寿

 

 

 「この手紙がなかったら今回はできなかった」と、すごく嬉しそうにおっしゃていました。

 

桜井さんと、宇多田さんは、数年後に番組に出演することとなりました。

 

 

 

今では最初からゲストがステージにいて、ゲストがメインで歌う形で、小田さんはコーラスに回ることが多いのですが、2回目までは小田さんの単独ステージでした。

 

初めてゲストが登場したのは、3回目、2003年のこと。

 

 

「いよいよ歴史的な瞬間が訪れます。番組始まって以来のゲストです。 」

 

 

と言って、紹介されたのが、

 

何を隠そう、ゆずでした。

 

←別に隠してない。以前も書いたことがありますしね。

 

小田さんの思いつきで、急遽、楽曲まで共作することとなり、あれやこれやと試行錯誤して完成を迎え、 タイトルは本番当日までに決めてくるようにと小田さんに指示されたゆずが 「クリスマスの約束」と命名し、演奏されました。

 

その後、2005年の小田さんのコンサート@武道館にゆずがゲスト出演した際に再び演奏され、2006年に“ゆずおだ”名義でシングルとして発売される運びと相成りました。

 

しかも、これだけで終わらず。。。

 

CD発売から約1か月後、2006年12月22日、冬至の日。

 

小田さんは、横浜の赤レンガパークで行われた、ゆずの冬至の日ライブ(無料)にゲストとして出演してくださいました。


12月のみなとみらい。海辺の野外。

 

無料ライブなので最低限の設備で、吹きさらし。とりあえず激寒

 

息は白いし、手はかじかむし、極寒。

 

コート、手袋、帽子、ホッカイロ必須。

 

そんな寒さが厳しいところへ、大学の講義を仮病でほったらかして駆け付けた私。

 

←おい!

 

私のような若いお客さんが多かったためか、小田さんが「ジャニーズみたいだね」と驚いていたのが印象的でした(笑)

 

同じ横浜出身ということで、

 

「土縁ってあるよね。呼ばれて出られることがジジイとして嬉しく思います。」

 

とおっしゃってくださり、

 

ゆずと3人で「クリスマスの約束」「夏色」「いつか」と3曲も披露してくださいました。

 

ゆずのふたりは何度も「すごいなぁ~!すごいよなぁ~!」を連呼していました。

 

路上出身のゆずは、さすが場数をこなしているだけあって、さほどクオリティが落ちないのがすごいなと常々思っていたのですが、小田さんも、歌、全っ然ブレないんですよ。

 

激寒で極寒の吹きさらしの野外ステージにも関わらず、いつもの綺麗な美声で。。。

 

大学の先生には申し訳なかったですけど、今となっては良い思い出です。

 

 

 

前置きが長くなりましたが。。。

 

ビックリしますよね、まだ前置きなのかよ!?って;;

 

ほんとにすみません;;

 

えーっと。。。

 

何が本題かと言いますと。。。

 

 

昨日の『クリスマスの約束』の中で、初回に小田さんがこの番組のために制作した「この日のこと」という未発売曲を出演者全員で歌われていたんです。

 

なんでも、2009年にゲスト出演していたひとりである、清水翔太くんがSNSで歌ってくれたんですって。

 

 

※こちらから聴けます。

 

清水翔太/この日のこと

 

 

元々は、「アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬すること」という番組コンセプトに、小田さんと親交の深いアーティストに協力を呼びかけ、20組がボーカル参加した楽曲なんですけどね。

 

これまたメンツも凄くて。。。

 

財津和夫さん、鈴木雅之さん、CHAGE and ASKA、坂崎幸之助さん(THE ALFEE)、大友康平(HOUND DOG)さん、スターダストレビュー、Kiroro、コブクロetc.

 

清水翔太くんは、2009年の『クリスマスの約束』に出演しているのですが、

 

デビューしてまだ1年目くらいで、最年少だったため、大御所たちに囲まれて、相当緊張したようです。

 

「人生で1番練習した」って、昨夜もコメントしていました。

 

 

この楽曲の、

 

 

まるで僕らは 広い海に浮かんだ 小さな船のようだね

 

 

という歌詞が刺さったようで、

 

 

清水翔太くん:「どれだけ有名になっても、どれだけ才能があっても、音楽って、エンターテインメントっていう世界だったりとか、もと広く言えば人生っていうか、それを海と例えるなら、すごく小さな船なんだなって感じた時に、だからこそちょっとした波とか、天候が不安定になることですごく揺れるし、怖いなって思う瞬間もいっぱいあるし。
でもそういう時に、どこかで、同じように、小さい船でも、同じ場所を目指して、少しずつでも進んでいる仲間がいるはずだってと思えばちょっと勇気になる。
だから、自分の人生を生きる上で困った時に、すごく救いになっている曲なんですよね。」
 
 
と、コメントしていました。
 
 
初回の小田さんのお手紙にあった、
 
 
アーティスト同士が直に触れ合うことで進んでいける場所がある。
 
 
って、こういうことなのかなと思いました。
 
 
昨日の放送の中で、小田さんは、
 
 
「ほっとしたんだよ。1番若い翔太が、歌ってくれたんだからね。」
 
 
って。
 
 
孫ほど年の離れたおふたりの想いや関係性に、なんか勝手に感動しちゃって。。。
 
 
記事にしなきゃ!って思って、この記事を書きました。
 
 
 
で、この感じ前にもどこかで。。。
 
と、思って、ずーっと考えていたのですが、一夜明けて、ようやくわかりました。
 
初回でお手紙を出したアーティストの中に、SMAPもいましたよね。
 
後々、中居くんが単独で『クリスマスの約束』に出演したことがあったんです。
 
2005年のことです。
 
 
「こんなゲストを紹介するってことは僕のこれからの一生の中でもうないんじゃないかな?想像をはるかに超えた異色のゲストです。
でも私はみんなが喜んでくれるだろう、温かく迎えてくれるだろう、と確信しております。中居正広くんです。」
 
 
白いニット帽に、白いシャツに、ジーンズというラフな格好で、
 
 
中居くん:「すいません、本当に申し訳ありません。」
 
 
と言いながら登場した中居くん。
 
 
「小田さんが何を間違われたのかはわかりませんが、僕は歌手じゃありません。
ミディアム歌手です。」
 
 
とか、いつもみたいに笑いを誘っていながらも、見るからにガチガチに緊張していました。
 
 
「この半年間、今までで1番、歌の練習をしました。」
 
 
と、清水翔太くんとまるっきり同じ発言をしていたんです!
 
 
中居くんの発言に「半年間」とありますが、
 
この番組はその年の夏から制作の準備を開始して、まるでツアーのように何度も打ち合わせを繰り返して、ひとつひとつ念入りに練習して、本番を迎えているとのこと。
 
まさにプロフェッショナル。
 
昨年、放送がなかったのも納得です。
 
 
 

中居くんとともに披露したのは、「夜空ノムコウ」でした。

 

小田さんのギター伴奏とコーラスとともに歌っていたのですが、

 

 

「僕は、一生懸命、歌うだけです。」

 

 

というお言葉通り、

 

おふざけ一切なし、丸裸のままの、無垢な中居くんの歌。

 

それは驚くほどまっすぐ心に響きました。

 

会場の雰囲気も温かくて、歌が心に響くかどうかは、歌が(技術的に)上手いかどうかじゃないんだなと、小田さんのお隣で真摯に歌う中居くんの歌を聴きながら思いました。

 

←失礼;;

 

実は、この時の中居くんの歌があまりにも心に響いたので、後日、金スマで放送された舞台裏を記録したドキュメンタリーの録画も一緒に残してあったりします。

 

 

今回、なぜ中居くんを?中居くんから何を引きだそうとしているのか?

 


という問いに対して、小田さんが。。。

 


「中居くんは一般人から見て、とても特異な育ち方をしていて、こいつは俺の全く見たことのないベールに包まれていて、そういう人間がどこか一瞬でも素直になって、取り繕わないところの中居正広が出てこないかなと。それをあいつが、人前でさらけ出してもいいんだ!と思った時に、何か変わるんじゃないかと。あいつは何も持たないで、ボロ負けでいいんだ!っていう気持ちで来てくれればいい。」

 

 

と、お話されていて。

 


それに対して、中居くんが。。。

 

 

「歌えない。自信がない。何か武器を持っていかないと怖い。」

 
 
と言うと、小田さんは。。。

 


「武器じゃなくて、等身大の、すべてを剥ぎ取った、テレビで人気の中居じゃない部分で、そこを乗り越える力を発揮できるはず。じゃなかったら、俺はたぶん呼んでないと思う。キザに言えば、お前の武器は俺で、俺がいる。

 

 

って。

 

 

ちょっとかっこよすぎやしませんかね??(笑)

 

 

番組収録の際、

 

 

「今の日本の音楽業界において、これだけの影響力を持つジャニーズを無視することはできない。」
 
 
という発言があったというお話も、ジャニーズのグループファンとして、非常に嬉しく思ったことを覚えています。
 
 
 
ゆずのおふたりも、小田さんとの出会いは大きかったと後々話していましたが、
 
きっと音楽と真剣に向き合い続けてきた小田さんだからこそ、見える世界があって、
 
仙人のようでありながら、永遠の少年のようでもある、小田さんだからこそ、
 
できることがあって、引き出せることがあって、歌える歌があって、伝えられる想いがあるんだろうなと思います。
 
小田さんには、マンネリとか無縁ですから。
 
これからも“小田塾”の塾生さんたちに、そのかっこよすぎる背中を見せ続けて、目には見えない贈り物をプレゼントし続けてほしいなと心の底から思います。
 
来年の『クリスマスの約束』も楽しみにしていますので、
 
TBSさん、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
小田塾、塾長、小田和正さんに最大限の敬意を込めて。
 
 
 
最後まで長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
ではまた。
 
 
 
p.s.
過去に小田塾について書いた記事はこちら。
 
相変わらず前置きが長くて恐縮ですが、よろしければ目を通してみてくださいね。