最近、野暮用が多くて遅くなりましたが、JR九州主催のウォーキングに参加しました
11月29日(日曜日)晴れ
いつもの高校時代の友人と08:31熊本発でスタートです
本日は「日本赤十字社発祥ゆかりの西南戦争遺跡を訪ねて」なんですよ
JR木葉駅に到着しました
スタート受付前に参加者は住所・指名・連絡先をカードに記入します
提出したら、コースと見所を書いたコース地図を頂きます
官軍や薩軍に扮した役場職員さんの出迎えがありました
さあ出発します(受付番号は315でした)
高月官軍墓地に到着しました
970基の墓が並んでいます
大阪、東京、広島、名古屋出身者が多かったそうです
正念寺の銃弾が残る柱です
ここが日本赤十字社発祥の地ですね
同じ日本国内の内戦なので敵味方関係なく看護されたそうです
全国にある赤十字病院のルーツですね
次第に歩く人数がバラバラになりますよ
官軍本営跡に到着
ここではお茶や黒砂糖の接待がありましたよ
徳成寺(とくじょうじ)でもご接待のミカンがありました
この地域は激戦地なのであちこちに爪痕がありますね
急な上り坂の宇蘇浦官軍墓地を目指します
398基の官軍墓地でやはり亡くなっても階級別になってますね
ここで、1基だけ周りと違うお墓がありますがわかりますか?↓
谷村計介伍長の墓だけ鉄枠つきなんですよ↓
谷村伍長は宮崎県出身で籠城中の熊本城から玉名の官軍応援部隊まで
二度も薩軍に捕らえられるも二度とも逃亡に成功し官軍との連絡に成功
3月4日に田原坂三の坂で戦死した部勇者として軍の手本になった
昭和の戦前まで教科書に載っていたというので、お守り代わりに
墓石を削って持ち帰る人が続出したので鉄枠になったという
当時の宮崎倉岡村では薩軍に62名、官軍2名と薩軍の志願数で
県でも6800対30という分布で家族は冷遇されたと言う
戦後賜金受領の為、鹿児島県庁に向かった実父は暗殺された
悲しい内戦は、本人だけではなく南九州全てに影響がありましたね
ですから、コース途中の神社では必ず参拝しますよ
友人と二人でマスク越しに世間話をしながら歩き
ついに迷子になりました↓
ここから左折…〇
ここから直進…×
でも、私達だけではありませんでしたよ(笑)
木の葉猿窯に到着しました
コロナの影響でゆっくり見れませんでしたね
再び木葉駅に戻ります
おもしろいものもありましたよ
二俣瓜生田(ふたまたうりゅうだ)官軍砲台跡に到着です
この砲弾持ち上げましたが、重たい!
13キロのアップダウンのコースです
夜間はこわくて通れませんね
ゴールに到着しました
帰りは田原坂駅から帰ります
熊本駅に到着したらワンピース市電がお出迎えでした
もっと西南戦争を事前勉強しておけば
もっと楽しく理解できたでしょうね