熊本県天草郡苓北町を訪問し初めての富岡城(とみおかじょう)を訪ねました

まずは、位置関係をネットよりお借りした航空写真で見ると
天草下島と富岡半島をつなぐ砂州の先の山手に城があります
巴湾や砂嘴にまわりを囲まれて麓には袋池があります
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富岡港から見た富岡城です
ふもとに百間土手の白塀が見えます
朝日を浴びた山頂部が富岡城です
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港と袋池の間の百間土手(百間塘)が入口です
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駐車場から見た富岡城全体です
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きれいに整備された階段を登ります
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城の石垣は築城時、天草の乱後、修復後と三種類の石垣があるそうです
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いよいよ本丸へと入城です
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本丸は現在ビジターセンターになっています
本丸内の当時の古地図ですが、係の方の説明では

徳川家康の命により日本全国の城の図面が提出され
古地図がそのまま保存されていたので復元の際には
忠実に当時の城と同じに再現できたそうですよ
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熊本地震での被害もわずかにありました↓ひび割れです
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山の山頂みたいにとにかく見晴らしのいい城内です
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天草の恩人、日本の恩人像があります
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天草の恩人・左側が天領時代の初代代官鈴木重成公です
天草の年貢が重すぎるとして幕府に再三訴えて、最後は
切腹して抗議し、おかげで年貢は半分になったとか
天草には鈴木重成公に感謝の像があちこちにありますね
庶民に慕われた名君だったんですね。右側は兄の正三です
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まだ新しいので白塀がきれいです
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石垣の色も素敵です
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最下部の黑い色の石垣が一番古いものですね

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お城から砂嘴(さし)が見えます。三保の松原の縮小版ですね
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砂嘴に行ってみたくなりました!
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小西行長が統治していた天草も関ヶ原の戦い以降唐津藩の寺沢広高の統治となり

離れている為に富岡城を築城し、城代を置いたのが始まりらしいですね