こんにちは。

ともよんです。

GWですね。

 

今年の私は比較的のんびりと

過ごせているような気がします。

 

 

先日、両親が住む実家へ

一人で行ってきました。

 

 

いつもお正月には帰省するのだけれど

自分一人で電車を乗り継いで実家へ行くのは

とても久しぶりでした。

 

 

 

マスターコースで出されていた

宿題をやるために行ったんだけど

これ、2月のはじめに出ていた宿題。

全然やる気にならなくって。

 

 

弥生’s bar に行ったあと

 

自分が親に対して何かこだわっているけれど

そんなのどうでもいいというか

小さいことだなぁと感じるようになったので

 

 

ようやく重い腰をあげて

行ってきました。

 

 

宿題は親へのインタビュー。

 

 

やってみた結果。

 

「やって良かった。」

 

 

両親の価値観を知ることができたこと。

私が知らない、両親の小さな頃のことを

感じることができたこと。

 

そういうのが、とってもよかった。

 

 

両親を知る、理解する、

そういう面でとってもよかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

そしてそれは、宿題が出た時点で

絶対良いのはわかっていたから

(やっぱりね。)っていう感じ。

 

 

でも。

 

 

行った後、数日はとてもつらかった。

 

 

 

母に言われた。

 

 

 

「あなたのことが恥ずかしい。

 

こんな娘に育ててしまった。

自分の躾けがちゃんとできていなくて。

 

○○さんに、「ごめんなさい。」

って、私謝ったわ。」

 

 

母は笑いながら私に正面切って言う。

 

 

そしてそれを言われた私は

胸がチクっとしながら

 

 

「そうだね~~。

ごめんなさいね~~。

失礼な娘でね。

 

人に失礼なことをしてしまう

いたらない人間なのよ。

 

本当に申し訳ない。」

(私、かわいそうだな。なんであやまるんだろう。

守ってやれよ。自分。と書いてて思う。)

 

 

そういって、笑っている。

 

 

以前から言われていること。

本当はすごく悲しい。

 

でも私はそこで反論したり

自分の気持ちを話したり

喧嘩したりせず

 

 

母の気持ちを

笑って受け流す。

いつもそう。

 

 

「そんなこと言われたら悲しい。」

 

 

これが言えない。

 

 

宿題のインタビューを通して

母が大切にしていること

愛情表現の形を知ると

 

 

私が他人様にしている行動が

母には受け入れられないことなんだな

ということがわかる。

 

 

例えば家族や親戚が入院したとき

私はお見舞いの品というのを、

大体においてもって行き忘れる。

 

 

そこに悪意はもちろんない。

ただ、そこまで気が回っていない。

 

 

私にとっては

忙しい中スケジュール調整をして

遠方からはるばるお見舞いに行くこと自体が

 

ものすごいことで大変なことだから

 

「お見舞いに行く」という行為だけで

もう充分やっていると思ってしまってる。

 

 

だから自分が同じ立場になっても

「わざわざ来てくれた」

もう、それだけでありがたくて

なんか申し訳ないね。と思う。

 

 

でも、母は違う。

 

 

相手が喜ぶことを一生懸命考えて

それを形にすることが

彼女の愛情表現であり

うれしいことだから

 

 

それをしない私は

愛情のない人間。

失礼な人間。

になってしまう。

 

 

加えて「親孝行」。

 

 

母は何かと「親孝行」という言葉を使う。

 

 

「こうやって一人で来てくれて親孝行だわ~。」

「こんな機会をくれて、宿題を出してくれた方に感謝だわ。

ありがとうって伝えてね。」

 

 

母はうれしいのだ。

私が実家に帰ってきてくれたことが。

 

 

母は感情を自由に言葉にして

表現する無邪気で明るい人だから

 

言葉に毒っ気はない。

 

 

だけど、私はこの言葉を聞くと

裏を受け取ってしまう。

 

 

「普段めったにかえってこない娘。

電話すらかけてこない娘。

親不孝者。」

 

 

母は私が小さい頃から

おばあちゃんにまめに電話をしていた。

週に数回。

 

 

そして季節になると、お花見に連れて行ってあげたり

何か用事がなくても、顔を見に行って

「話を聞いてあげなくちゃ。」

と電車で一時間かけて

足しげくおばあちゃんの家へ行っていた。

 

 

そんな母だからこそ

自分の娘が真逆で

そういうことをしないのが

理解できないのだろうし

悲しいんだろう。

 

 

 

この価値観の違いが

お互いのズレになっていることがよくわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを自宅に帰ってから数日考えては

浮き上がってくる感情を感じつつ

過ごしていた。

 

 

昔はすごく落ち込んだ。

実家に帰ったあとはふさぎ込んだ。

 

でも、今は短期間で終わるようになった。

 

 

私にとっての愛情表現と

母の愛情表現は違う。

 

 

母の望むような娘ではなく

母が望むような行動ができなくても

 

私が人間としてダメなわけではない。

 

私が愛情のない人間だということでもない。

 

親不孝者でもない。

 

「親孝行」ということでいうと

 

今の私は

私がこの世に生まれてきただけで

もう親孝行はしている。

 

そう思っている。

 

 

そして、視点をさらに広げて

宇宙規模で考えて

地球の中の小さな島に生きる「母と娘」

と捉えたとき

 

 

そんな心の機微や

感情のやり取りさえも

 

可愛い遊びにしか感じられなくなってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうやって「遊んでいるんだなぁ」

と感じられるようになったら

 

もう実家でひろったネガティブな感情は

ふわっと消える。

 

 

実家へ行ってから

まだ一週間たっていない。

 

我ながら復活するのが早くなって

なんともうれしい。