『くりのみ』という
小学校の道徳の教科書に
載っているお話があります
キツネとウサギはお友達でした
寒い冬のある日
腹ペコの二人は食べ物を探している所に
会います
腹ペコを確かめるように会話をし
二人は食べ物を探すためにそれぞれ別れます
キツネはドングリをたくさん見つけて
お腹いっぱいになります
余ったドングリは葉っぱで隠して
その後場を離れます
直ぐに、キツネはウサギにまつ会います
ウサギに食べ物は見つかったかと
聞かれたキツネは
見つからない、腹ペコだと嘘をつきます
ウサギは二つ見つけた栗の実を一つ
キツネに渡します
キツネは栗の実を受け取り涙を流す
という話なのですが
『キツネはなぜ泣いたのか』
こう問われたら なんて答えるでしょうか
食べ物を分けてくれたウサギの
優しさを感じたから
友達だからくれたウサギの気持ちに
気付いたから
や
友達に嘘をついている自分への恥ずかしさ
など
そんな気持ちからの涙が一般的な答え
なのですが…
キツネの涙の理由は
『お腹いっぱい食べてるのに
なぜウサギは栗の実を食べさせるの』
の涙だ
『ウサギの話はどこにも書いてない。
見えない所で食べているかも』
『ウサギもお腹いっぱいだからキツネに
渡したんだ』
だから
『キツネの涙はお腹いっぱいの涙』
そう答える小学生
文章に載っていない部分を想像するのは
良いのですが
ウサギがやっと見つけた栗を食べずに
取っておいたかも知れないという
ストーリーもあるかも知れない
そんな他の小学生からの反論に
何でそんなことになるの?
何かまずいこと言った?という反論
さまざまな意見が出て良いのが道徳
だけどモヤモヤして仕方がない
自己中心的な考え
想いを馳せるという感覚の欠落
そういえば
国語の教科書に載っている
『たぬきの糸車』の授業でも
おかみさんは
どんなにことを考えながら
糸車を回していたか?の問いに
いたずらするけどかわいいと
文章からそう読み取れるはずなのだけど
『タヌキ汁にしてやる』
と思いながら糸車を回していたと答える
小学生
イタズラばかりしているから
嫌われてるに違いない
イタズラしたら嫌われる
だから
文章に『イタズラするけどかわいい』と
書いてあっても
そこに意識が向き考え直すことも出来ない
そんな道徳と似たような場面がありました
授業はどちらも複数の教師が
関わっています
どの教師もその小学生の発言に衝撃を
受けていました
発言をしていた子どもは
発達障がいの疑いは見られない子どもです
『心が育っていない』
原因は分かりませんが
一人ひとりの育ちが
小学生の学ぶべき内容に
追い付いていないような気がします
特に
道徳や国語の物語文などに
必要な心情に関わる部分の
不十分さ
教師も子ども どちらも
おふざけでなく丁寧な授業を
行っていたし受けていました
心情に関わる部分の成長が不十分なまま
道徳や国語の物語の授業を
重ねていっても
ザルに水を流すように
成長しないのではないか
心情に関わる部分の成長は
どのように育まれていくのか
心は目に見えません
だけど
行動や発言から予測が可能なことも
あります
子どもの成長を信じて
関わって行こうと思います
