では、お別れの話をしよう。
夏はやっぱり、あっという間に過ぎ去った。
時間はどうして早く過ぎ去れと願う時、いっこうに早く進まないのに、こうして生活に夢中になった時、流れ星の如く、一瞬に流れるのか……。浦島太郎、亀に抜かされたウサギ…。
きっと腕時計の中には時間を進めることだけを生業とする小人がいて、僕が時計を見ていない時だけしめしめと意地悪な笑いを顔に浮かべながら、多めに時間を動かしているのかもしれない。昨夜の空港泊で疲れきり、ぼーっとした今の自分の頭なら、そんなファンタジーであほらしいことが考えられる。
最後の数日間は、もうほとんどがむしゃらに遊んだ。お別れが近づいているのが分かって、当たり前になりつつあった景色をたくさん写真や動画におさめた。それでも、寂しい気持ちは、満たされるどころか積もるばかりだ。
毎日2人乗りの原付バイクで安い屋台に行き、ご飯を食べながら好きなことや生き方を語り合ったこと、ポーカーのやり方が分からないせいで、かっこいいバーでダサいババ抜きをしたこと、眩しい夜の遊園地で食べたばかりのアイスカチャンを吐き出しそうになったこと。それから、巨大で深みのあるマレーシアの樹木、風通しの良い中国式の民家、ヘイズに霞む水色の広い空、川や道端に散らばるカラフルなゴミと、そこらにうろつく大人しい野良犬たち…。色はしだいに光沢が失われていって、今は思い出として、落ち着きつつある。
最後の夜はみんなでカラオケに行き、深夜遅くまで歌って帰宅した。出発は朝の5時で、友達は寝過ごすかもしれないからと、朝まで眠いのを我慢して僕のために起きていてくれた。
ちょうど京都からマレーシアに旅立った日の朝と同じように、辺りはまだ薄暗く、イポー駅の白さがその中に際立って見えた。
電車がすぐにやってきて、また来年の10月に会おうと約束し、僕は友達と固い握手をしてからお別れをした。
僕はその日のうちにクアラルンプール国際空港に到着し、空港で1泊する。そして翌日の今に至る。もうお昼の13時で、あと少しで関空行きの飛行機に乗り、いよいよこの国ともさよならだ。
ひとつ、気にかかることがあって、空港でずっと考えている。
2日前、映画を観に行ったあとの帰りの車の中で、友達が少し眉をしかめながら言った。
「なんのために生きているんだろうね?」
どうやら僕にひとつの意見を求めているらしい。あまりに急で、ストレートな問いだったから、言葉に困ったが、そんな素直で切実な質問を自分にしてくれることが、とても嬉しかった。そして少し考えて、その時思ったことを自分は答えた。
「なんのために生きているか、探すために生きている、とか?」
すると、友達はああたしかに、と、それで納得し、話はそこで終わってしまった。
でもなんだか違うな、あとになって思った。大切なことなのに、そんな簡単に答えるべきじゃなかったんだ。
今一度しっかり考えてみる。でもやっぱり、考えたところで答えなど、さっぱり分かりそうにない。
その代わり、僕はその友達の質問を通して、古いことを思い出した。それは自分が6年前くらいに、大学受験のため、自宅浪人を始めた理由である。「時間をかければ自分はどこまでできるのか興味があった」とあとでよく宅浪した理由を答えたものだったけど、なぜ浪人したのか、それもなぜ宅浪なのか、自分でもはっきりした原因がよく分からなかった。でも今思えば、その理由こそ、「なんのために生きているのか?」であったのだと思う。
僕の卒業した母校は中高六年制で、ちゃんとした高校受験も経験せずに僕はただなんとなくぼっーとしながら流れに身を任せて6年間を送ったものだから、やっと大学受験が始まる頃になって、自分が「無」であることに気付いてひどいショックを受けた。先生がよく話す「自分の夢」なんてどこにも見当たらなくて、この「無」のまま流れに身を任せ、将来社会人になって、なんとなく生活をしている自分を想像すると、ゾッとした。
だからいったん流れから身を切り離して、1人になって何かに取り組みながら、自分をもっと見つめよう、それは言い換えれば、「自分の個性を探し出すこと」、「なんのために生きるのか」を問い詰めることだったと思う。
けれど、誰にも会わずに長い間独りで宅浪をすることで、さらに自分が分からなくなってしまった。月日が経つごとにだんだん自分の輪郭が溶けていくような感覚があって、その時に初めて、他人がいるというそれだけで自分は支えられていたんだと気付いた。気づいたけれど、一度ハマってしまった宅浪の沼からはなかなか抜け出せない。いろんなものが曇りガラスを通したみたいに朧げになり始め、どうでもよくなって、勉強も手につかないほどになった。時間と人との距離だけがどんどん遠くなっていく。
そのあと二浪目で、縁があっていろんな人に会ったおかげで、なんとか少しずつ元気を取り戻し、受験を終えたけど、その人たちの存在がなかったら今の自分がどうなっていたか分からない。
結局、自分を探すつもりで人から離れたのに、僕が宅浪をして身をもって学んだ1番大切なことは、自分1人では自分になれないのだというシンプルな矛盾だった。
多くの人の中にいれば、まるで自分というものが埋もれていくような気がするし、だからといって独りになりすぎてもアイデンティティは失われていく。そのバランスはなかなか難しい。人ってめんどくさい…。
…こんなことを考えていたら、アナウンスがあって、ゲート前の待ち合い室がやっと開いた。僕と同じ関空行きの飛行機の乗客が中に入っていく。それに続いて中に移動すると、あちらこちらから日本語が聞こえてきた。中に入るまでは全然分からなかったけれど、多分入る前から少なからぬ日本人が周りにいたのだ。僕は日本人が日本人であることに全然気づかなかった。
マレーシアでこれまでほとんど日本人を見なかったように思うけど、もしかしたらそれは僕が認識できなかっただけで、ほんとは周りにけっこう歩いていたのかもしれない。
マレーシアは多民族国家で、アジアのいろんな人種の人々が住んでいる。その中から日本人をひと目で見つけ出すことは難しい。その人がどこの国の人かさえよく分からないのだから、一人一人のささいな個性なんて、大衆の中ではすぐに埋もれてしまうだろう。
個性的な人が突然現れては、いつのまにか消え去っていくテレビの画面を見るたびに、いつも悲しい気持ちになってしまう。
「なんのために生きるのか」だとか「個性を大切に」だとか、そうした言葉は、ある人にとっては生きる糧になるかもしれないけれど、ある人にとっては強迫観念みたいになって、生きることにおいてプレッシャーになってしまうかもしれない。
生きる上で、人と同じであることは別に悪いことでもなんでもないのだと、今は思う。
「なんのために生きるのか」、それは自分にもわからない。けれど、「なんのため」になんて理由がなくとも、僕はマレーシアで友達と過ごした日々がとても楽しかったし、一日、一日に、「生きている」という強い実感があった。
生きている上でたまたま理由があるのであって、理由があるから生きているわけではない。
たとえ生きる目的を見つけようと見つけまいと、少なくとも僕は彼が彼であることを知っているし、ずっと忘れない。それが今言えることだ。
とにかく、来年、また笑って会えることを僕はただただ願っている…。
まもなく、飛行機に乗り込んだ。機体が大きな音をたてて動き始める。
だんだん小さくなっていくマレーシアを窓の外に眺めたかったけれど、僕のシートは通路側だったし、おまけにヘイズのせいでその様子はよく分からなかった。
ペナン、イポー、ジョホール、マラッカ…いろんな思い出がいま、蘇る。
この夏、ひとつの季節を、この国で過ごしたことを、僕はずっと大切にしよう…。
揺れる飛行機の中、時差があったことを思い出して、腕時計の針を1時間分、ゆっくりと元に戻した…。