僕は中学校の頃、ある教師からこう言われました。


「僕さぁ、この前友人の外国人と話しててんけど、そいつ東京のことtokyo(オリンピックの例のやつ風)って発音するねん。でも、東京って日本の地名やんか。だからちゃんと『東京』って発音するようにアドバイスしてん。みんなもそうしいや。」

みなさんは、どう思いますか?

当時中学生だった僕はこれにすごく違和感を覚えるわけです。だって、英検のスピーチ中に、いきなり
…so I live in 『東京。』なんて言ったら、英語話者は「ん?」となるはずです。

それに、外国人が東京を話す時、『tokyo』になる以上、それがネイティブスピーカーにとっての東京であり、また一番伝わりやすく、発信しやすいカタチでの東京でもあるわけです。

そこであえて、『東京』と発音することで、いわばコミュニケーションの円滑性を妨害しているとも言えるわけです。

さて、ここで一つ、コミュニケーションや対話の礼儀作法とは何かを考えてみましょう。
やはり、僕は相手を尊重する、相手の気持ちを慮って、なるべく伝わりやすい形で伝わるように互いに「尊重し合う」ということだと思うんです。

互いに尊重し合うことこそが、コミュニケーションを扱う現代人の、一つの作法であると考えているんですね。
ましてや、我々日本人において、英語を話すということは、英語を話させて頂いている。
もっと言うなれば、あちら側の意思疎通のフィールド上に上がらせていただいている。
ということになるわけです。

英語を話す以上、ネイティブスピーカーの礼儀作法に極力合わせるのは、コミュニケーションを嗜んだり、コミュニティを育む上で当然とも言える配慮です。

(それは、コミュニケーションとは一見関係ないように思える生活様式だってそうです。
コミュニケーションの形は言語だけにとどまらず、ハンドジェスチャーや食事の味、その街に住む人々が作り上げた建造物、その全てがなんらかのメッセージ性を秘めており、何らかの情報を孕んでいる可能性が高いわけです。)

そういったところで、あえて日本人的発音を優先させる道理なんて、微塵もないと、そう僕は思うわけですが、いささか自信がありません。

本当のところは、どうなんでしょうか。

中学校の頃にはそうだと思っていましたが、今振り返ってみれば、日本人には日本人のこだわりや意思疎通の礼儀作法を蹴飛ばすに足るほどの、「日本人的道理」があったのかも?なんて思ったりもします。


ここまで長々と話しておいてなんですが、この結論を確信的なものにするだけの教養が、僕にはまだ足りてないみたいです。

それでは、この辺で!!!

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