新連載 ✨『 俺っていうかワシ 』
( エッセイを書こうか…先ずは2年くらい前に書き出したこの作文からスタート)
ともを・ザ・スター☆ :作
『 俺っていうかワシ 』
2015/07/31 11:27
1. 昭和と俺っていうかワシ
俺ていうかワシね。
昭和ベイビーて店やっとるんよね。
何で昭和なんかね?
簡単に言うと逆行したりタイムスリップしたりしとる訳ちゃうんよね。
止まってるんよ。
停止状態。…
タイムスリップじゃなくてタイムストップ。
大体ね、テレビジョンを25年位真面に観てないからね。それが良くも悪くもワシを形成しとる訳なんさ。惑わされ無い良さとリアルな情報に疎い危険さを併せ持つてことだよね。それがテレビジョンを観ない生活やね。今はネットがあるからまだ色々情報が入って来るけど20代、30代の頃はホンマに原始人の様な状態やったから。
オリンピックやっとるん知らんかったり、『なでしこジャパン』て女子のソフトボールやと思うてたし…。
ソフトボールぽくね?なでしこ⁉︎て…。
下からボール投げる感じがワシからすれば……な、で、し、こ。
どうでもいい話しになったね。
とにかくね、ワシにとって子供の頃、学生の頃ブラウン管で観ていた世界が1番刺激的だったんだよね。昭和50年代だねワシの場合は…。とにかく面白かったし、刺激的やったな。今は今の子達にしか通じない良さも有るんやろうけどね。あの頃は細分化されずもっと混沌としとったよね。多分色々な規制も緩かった。
DVDやネットが無い分、テレビジョンがセクシーやったんよ。
ていうかエロかったね。
キューティーハニーしかり、
メルモちゃんしかり、
メーテルしかり、
峰不二子ちゃんしかり、
シズカちゃんしかり、
まいっちんぐマチコ先生しかり、みんな適度にドスケベやった。
歌番組も多かったよね。
ザ・ベストテン
夜のヒットスタジオ
紅白歌のベストテン
ヤンヤン歌うスタジオ
レッツゴーヤング
MTV
ベストヒットUSA
なんか凄くカラフルメリーでPOPでROCKでアンニュイでおセンチな歌番組が毎日展開されていたんよね。
邦楽と洋楽がごちゃ混ぜになって、バンドとアイドルがぐちょ混ぜになってた。
ひと言、昭和言葉でいうと…
「 お馬鹿 」やった。
そう、お馬鹿で良かったんよ。
今は、あんまりお馬鹿やと問題になる。
いい時代やったね。
お馬鹿でも希望に満ち溢れてキラキラしてた。
今考えるとbubble絶頂期だったんやろな…。
それをワシらはブラウン管の中に観て純粋に憧れていた。
そんな刺激的な所でワシの時代と文化がタイムストップしてしまった。
するってえと…東京酒場昭和ベイビーみたいな店が出来上がるという訳やな。
とにかく駄菓子食いながらアニメソングをテレビジョンと一緒に唄い、そこから学校で掃除中のホウキギターがエレキギターにとって変わるんは当たり前の流れだったな。
そう、バンドブーム…。
俺たちが高校生の頃はバンドが1番だった。
バンド演ってるだけで異様にモテた。
若い=モテたい
だけやからね。
何だったんやろね?
あのバンドブーム。…
田舎のコピーバンドのLIVEでも超満員。
ワシも演って、やりまくった。
『 目んたMagic32 』てイかれた名前のバンドを組んで暴れまくった。
周りのみんなは、ボウイ、ユニコーン、プリプリ、ジュンスカ、ブルーハーツ、ジギー、レッドウォーリアーズetc…を演っていた。
メジャー所やね。
ワシらは、アンジー、ニューロティカ、グレリチ…B級バンドを選んだ。
そしてワシらはヅーヌマで1番になった。
LIVEの数と動員数はその時期ワシらが1番だったはずやわ。
それは間違い無い。
高1の頃から酒も飲みまくって、でも週に3回スタジオ入って練習して、毎週土日LIVE演って、また打ち上げで酒飲みまくって…。
満員のLIVEで1番前の客の女の子が失神して泡吹いてたりね。
めちゃくちゃでわやくちゃで刺激的でドラックはやっとらんけどずっと笑っとった。
そしていつもずっとbeetに抱かれとった。
そんな青春がずっと続くと思うてたわ。
そして今42にして、廻り道はしたが辿り着いたというより…戻ってしまった。いやさ、戻れた今、ワシは昭和に戻れた貴重な存在なんやと実感しとる。
そして22年振りにヅーヌマに帰って来たワシは東京酒場昭和ベイビーを作り、東京昭和ベイビーズいうバンドを結成した。
間違いないで貰いたい、ワシの店だけ、ワシの店の中だけは昭和なんだよ…わかるかな?
昭和ベイビーの諸君。