みなさま こんにちは
有難き幸せ、光栄にも
戸隠神社に参拝させていただく機会を頂戴致しました。
今日は、その時のお話を。
いわゆる職場の社員旅行的なものの、
行程の中に戸隠神社がありまして、
わたくし、不覚にも戸隠神社の凄さをよく
知らなくて、1人の男性(ヤンマー)がものすごくその神社を
重要視し、行きたがっていたのですが、
わたくし「へー、あっそう」的な思いしかなかったのです。
ところが、その旅行が近づくにつれ、なんだか
私の内部で早く来い、早く来いと
戸隠神社へ詣でることにワクワクする感覚が
出てきて仕方なくなってきたのです。
そこで、わたくしWEBサイト上で、戸隠神社の写真を
いくつか視ている間に、
「あぁ、ここはすごいかも?」
と思うようになり、わたくしもその件のヤンマー同様、心情的に
行程中のメインに添えることにあいなったのです。
まあ、戸隠神社と申しましても、5つほど行くべきお社が
ございまして、もちろん今回はその一つ、
奥社に行くということだったのですが、
幹事が「奥社までかなり歩く、足腰の弱い人は暑いし
厳しいかも?戸隠止めますか?」と言い出し、
すったもんだありましたが、
結局、ヤンマーの強硬意見により、行けることになりました。
旅行の2日目の一発目が戸隠神社だったので、
もう一日目の夜は、楽しみであまり寝られませんでした。
ところが、朝食の席で、ヤンマーが右手に正露丸を持って
くるではありませんか?
彼曰く「お腹を壊したみたいです。昨夜、
冷たいものを飲んだからだと思います。
旅館の人に頼んで正露丸をもらったので、
僕(ヤンマー自身のこと)、一発で治るはずなので、ご心配なく」とのこと。
みんはは、「ま、そだろね」と安易に思い、
さほど気にもせず旅館を後に致しましたが、
わたくしは、「戸隠の神さまだぁぁぁぁ!!!」
とピーンときましたですね。
えー、戸隠へは、けっこうな山道を車で
上がって行きます。途中のお社(後から
聞きましたらそこが中社でした)で、
車を停車して、観光案内所で、奥社への
道を聞き、再び移動致しましたが、
うーーん!!!
まあ、後から考えるとですが、
この中社って、素通りしていいような
神社ではなかったような気がするんです。
奥社に勝るとも劣らない力がみなぎっている!
そんな感じがして仕方がありませんでした
(うーん、今だに後悔)
まあ、みんなに急かされ、とにかく奥社の駐車場に
辿り着き、すぐに参道を歩き始めました。
参道はですね、
まあ、途中に山門もありますが、
舗装していない道を最初は、平です。
ひたすら楽な感じで歩けます。
んで、杉の並木が続くんですが、
で、たまーに、しめ縄がしめられている木が
ありますので、それがご神木なのですが、
ここのすごいところは、しめ縄のされていない
杉の木もうん!すごいといいますか、
ただの木じゃないんですよね。。。。
このあたりの癒しの地場と
木々から出るパワーすごいですが、
それと相混じって、
どうも、うーん、おかしいんですが、
仏教的なと言いますが、
お坊さん的なと言いますか、
そういう霊域にもなっていると
そう思われるんですね。
しだいに、道は上り坂になっていき、
最終的にはかなり急な石段になりますので、
お年を召した方にはけっこうきついでしょう。
まあ、晴れていれば、そこまで大変な道のりでは
ないのですが、
しかし、
心根のよくない人には、きつく感じることもあるでしょう。
それに致しましても、簡単には来れない
奥社参拝です。
そのおいそれとはこれない道を汗水たらして、
登る。そうまでさせて参拝を許すその中に、
この素晴らしい神域が守られている所以がある
のではないかと思いますね。
奥社は、岩なのか崖なのか、それとも洞窟なのか、
そうした感じのところを背にしてその社殿が
建てられているのですが、そのご神体は、
やはり、社殿の奥にあるのですが、
いやあ、ほんとうに ほんとうに
有難い
参拝をお許しいただいて本当に有難い
参拝させていただくことができた
このような崇高な神さまのところへお参りできた
正直そのような思いを強くしましたですね。
個人的には、生半可な気持ちで登ることは、
おやめになられた方がよいでしょう。
物見遊山的な気持ちで登るはちょっと
失礼に思います。
そのようなご祭神だけに、
よくぞわたしのような者を受け入れてくださって
まあそんな言葉を何度も心の中で
私がつぶやいていたのも、神社の中には、
やはり、神さまに敬遠されることもあるからです。
参道を登りはじめてから、しとしとと雨が降り始め、
参拝をしたころから、けっこうな雨が降り始めました。
仲間は「いやあ、こんなに雨に降られるなんて、
誰だ?心がけの悪いやつは?」なんて
言っていましたが、この戸隠神社には、
龍神さまがおられて、わたくしには、
その龍神さまが、歓迎の雨を
降らしてくださっているので、
身体はかなり濡れましたが、
嬉しくて仕方なかったです。
わたしには、露払いの雨としてか感じませんでした。
話は変わりますが、例のヤンマーですが
参道の帰り途中で、お腹はどう?と聞いたら、
笑うと漏れちゃうかも?
と苦しそうに言うので、
え?やっぱ治ってなかったの?と思いました。
みなさま、チャラい感じで登るのはやめましょう。
このヤンマー、旅行の道中ずっと、みんなを茶化し、
馬鹿にし、ずっと、調子にのっていました。
結局、ヤンマーは、熱も上がり、
2日ほど寝込むことになりました。
ずっと同じものを食べていたのに、ヤンマーだけだったのはなぜでしょうね?
戸隠の神さまは、わたくしの今後に対し、
とてもよい意味で、メッセージをくださいました。
その内容は、わたくしと神さまとの秘密ですので、
詳しくは言えませんが、
その数か月後にそのとき頂戴したメッセージは、
すべて成就致しました。
もちろんこれは戸隠の奇跡であります。
ですが、神さまは、今までの行いが悪いのに、
いきなり人生を好転させるようなことは致しません。
ヤンマーの行いの悪さが、旅行の道中に現れたように、
過去の思いと行いが幸運をめぐる道程にあったからこそ、
そのようなバックアップがあり得るのだと思います。
神は自ら助くる者を助く
のであり、
あくまで、常日頃から、
神さまの思し召しの高い
自分であり続けることが
この鍵になることをお忘れなく。
それにしても、戸隠の神さまは
すごいです。
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久しぶりに記事を投稿いたしました。
時代の端境期、岐路の年です。
ポジティブにとらえればエキサイティングな本年でございます。
次は9月8日以降に記事を投稿できればと思います。
平穏無事な日々が続くといいですね。
2025.9.7
そういえば、ずっと言い忘れていたことがありまして、
今日は、2,022年の7月7日ですか、
だいぶ遅くなりましたが、書き残しておきます。
実は世界は今、激動期にありまして、
百年間続いていた世界の動向に変化が訪れております。
百年前から続いてきたものの総仕上げとして、
2,019年の新型コロナ、
そして、2,022年の戦争
次々としかけられていく中
そのはっきりとした兆候は、2,016年の米国大統領選
世間が予想した人物とは違う人が当選いたしました。
一方、日本における兆候は、2,020年
ある希望が誕生いたしました。
その希望が、当初の意志を保ち続け、
また、巨大な敵を前にして生き残り、今後成長していくことができるのか、
勝敗はどちらになるかわかりませんが、
7月10日を目前とするこの日に、
鳳凰のシンボルと
書き残しておきます。
今日は、2,022年の7月7日ですか、
だいぶ遅くなりましたが、書き残しておきます。
実は世界は今、激動期にありまして、
百年間続いていた世界の動向に変化が訪れております。
百年前から続いてきたものの総仕上げとして、
2,019年の新型コロナ、
そして、2,022年の戦争
次々としかけられていく中
そのはっきりとした兆候は、2,016年の米国大統領選
世間が予想した人物とは違う人が当選いたしました。
一方、日本における兆候は、2,020年
ある希望が誕生いたしました。
その希望が、当初の意志を保ち続け、
また、巨大な敵を前にして生き残り、今後成長していくことができるのか、
勝敗はどちらになるかわかりませんが、
7月10日を目前とするこの日に、
鳳凰のシンボルと
書き残しておきます。
まあ、
方法でしたね。
これは、
まず、感染しにくくなるかもしれないのは、
(絶対に感染しない!とまでは言いませんが)
そして、
わたし以外の方もどこかで言ってらっしゃるかと思いますが、
この感染自体は、
憑依の原理にかなり似てるんですね。
そして、
憑依されやすい人と
憑依されにくい人がいる以上、
憑依されにくい状態をとると、
これは、ウイルスが侵入しずらくなると感じます。
前に、
覇気の話とか、
心の浄化の話を
出したことがありますが、
これは、ほんとうに
なんというか、
バリアっていうんですかね?
なぜか、
ぽーんと
跳ね返されてるんですね、
なにが?って
ウイルスがですよ!
また、
仮に罹患してしまったとしても、
重症化しなければこれはそうとう助かるわけです。
そしてその重症化しないためには、
もう本当に神の光に満ち満ちているといいますかね、
極端なことを言えば、
イエス・キリストとかに、
お釈迦さまでも、天照さまでもよいのですが、
もし、直接教えを説かれたりして、
ものすごく感涙にむせぶような状態ならばですね、
これは教えの中に神の光が宿されており、
そういう言霊に満たされている状態が、
極端に言えば、
神の光に満たされているような状態なわけです。
で、この状態がですね、
ウイルスがものすごい嫌がる状態でもあるわけです。
なぜって?
その性質が正反対だからです。
その原因・成り立ち、形成過程、増殖過程において
あまりにも、真逆な方向性をもって育ってきたものであるからです。
で、こういう信仰的な話とかですね、
スピリチュアル的な話じゃないほうが具合がいいという方はですね、
仕方ないので、
覇気を上げろ!とか、
積極的で明るくいきなさい!とか
怖がるな!とか、
心を澄み切りましょうとかね
言ったこともあったわけです。
神の一つの性質だからです。
もちろん、
ニセモノの思想、
ニセモノの思考、
ちょっとズレてる心の浄化具合とか、
ちょっとズレてる覇気とか、
ニセモノの信仰、
ニセモノのスピリチュアル
これではダメなんですね、
また、
今だけ、金だけ、自分だけ
なんて言いますが、
決して悪人でなくてもね、
刹那的な人とか、
物とかお金とか自分の成功とか
こういうものだけを信じている人は、
危ないと思います。
みなさんの中で感染したお友達を想像してみてください。
心当たりありませんか?
コロナウイルスという観点から特に危ない思考を言いますとね、
支配欲、それと野心
攻撃的な思考、
精神的な価値を軽んじていて、目に見えるものを重視し過ぎる傾向、
人の生命や、他人の権利、他人の幸せこういうものを非常に軽視する傾向、
今日はこのくらいにしておきますね。
また、思いついたら付け加えます。👋
方法でしたね。
これは、
まず、感染しにくくなるかもしれないのは、
(絶対に感染しない!とまでは言いませんが)
そして、
わたし以外の方もどこかで言ってらっしゃるかと思いますが、
この感染自体は、
憑依の原理にかなり似てるんですね。
そして、
憑依されやすい人と
憑依されにくい人がいる以上、
憑依されにくい状態をとると、
これは、ウイルスが侵入しずらくなると感じます。
前に、
覇気の話とか、
心の浄化の話を
出したことがありますが、
これは、ほんとうに
なんというか、
バリアっていうんですかね?
なぜか、
ぽーんと
跳ね返されてるんですね、
なにが?って
ウイルスがですよ!
また、
仮に罹患してしまったとしても、
重症化しなければこれはそうとう助かるわけです。
そしてその重症化しないためには、
もう本当に神の光に満ち満ちているといいますかね、
極端なことを言えば、
イエス・キリストとかに、
お釈迦さまでも、天照さまでもよいのですが、
もし、直接教えを説かれたりして、
ものすごく感涙にむせぶような状態ならばですね、
これは教えの中に神の光が宿されており、
そういう言霊に満たされている状態が、
極端に言えば、
神の光に満たされているような状態なわけです。
で、この状態がですね、
ウイルスがものすごい嫌がる状態でもあるわけです。
なぜって?
その性質が正反対だからです。
その原因・成り立ち、形成過程、増殖過程において
あまりにも、真逆な方向性をもって育ってきたものであるからです。
で、こういう信仰的な話とかですね、
スピリチュアル的な話じゃないほうが具合がいいという方はですね、
仕方ないので、
覇気を上げろ!とか、
積極的で明るくいきなさい!とか
怖がるな!とか、
心を澄み切りましょうとかね
言ったこともあったわけです。
神の一つの性質だからです。
もちろん、
ニセモノの思想、
ニセモノの思考、
ちょっとズレてる心の浄化具合とか、
ちょっとズレてる覇気とか、
ニセモノの信仰、
ニセモノのスピリチュアル
これではダメなんですね、
また、
今だけ、金だけ、自分だけ
なんて言いますが、
決して悪人でなくてもね、
刹那的な人とか、
物とかお金とか自分の成功とか
こういうものだけを信じている人は、
危ないと思います。
みなさんの中で感染したお友達を想像してみてください。
心当たりありませんか?
コロナウイルスという観点から特に危ない思考を言いますとね、
支配欲、それと野心
攻撃的な思考、
精神的な価値を軽んじていて、目に見えるものを重視し過ぎる傾向、
人の生命や、他人の権利、他人の幸せこういうものを非常に軽視する傾向、
今日はこのくらいにしておきますね。
また、思いついたら付け加えます。👋
まあ、まあ、
本当に本当に、
たくさんの方が苦しい目に合われてしまって、
なんとかせねばならない
なんてことも思ったりはするわけです。
そして、
そのなんとかできる方法というのは、
示しておかなければならないと
考えつつ、はや1年以上が過ぎ去ってしまいました。
おそらくほとんどの方が信じないでしょうし、
一笑に付されて終わると思ったからです。
また、
たとえ信じたとしても、実践するのは簡単でないだろうなあ。。。
とも感じたからです。
しかし、
信じるか信じないか!
できるか、できないかは!
わたくしの問題ではなく、
むしろ、みなさましだいであると 、
自身を納得させつつ、
方法だけは言い残しておかねばならない
そう感じたわけでございます。
本当に本当に、
たくさんの方が苦しい目に合われてしまって、
なんとかせねばならない
なんてことも思ったりはするわけです。
そして、
そのなんとかできる方法というのは、
示しておかなければならないと
考えつつ、はや1年以上が過ぎ去ってしまいました。
おそらくほとんどの方が信じないでしょうし、
一笑に付されて終わると思ったからです。
また、
たとえ信じたとしても、実践するのは簡単でないだろうなあ。。。
とも感じたからです。
しかし、
信じるか信じないか!
できるか、できないかは!
わたくしの問題ではなく、
むしろ、みなさましだいであると 、
自身を納得させつつ、
方法だけは言い残しておかねばならない
そう感じたわけでございます。