20年前の早朝、
僕は家族と共に、松阪の家で寝ていました。
前夜遅く、長野県栂池高原でのスキー旅行から戻ったばかりでした。
遠く離れた三重県でも、揺れは長く大きくて、
父と母は、僕たちの足元に2棹並んだタンスを、
それぞれに必死で押さえたと聞きました。
神戸では、どれほどの衝撃だったことでしょうか。
あの時の被災地は、力強く、美しくよみがえり、
震災後誕生した子供たちが、20歳を迎えようとしています。
ミオさんのポエムの中に、たった1枚だけあった、
寂しい響きの作品です。
無常に消えていくからこそ、忘れたくないと、
今日の日に、選びました。