母が居なくなって、引っ越しを二回した。

お姉ちゃんが彼氏と住むため家を出た。

私は懲りずに再婚したが同居はせず、下の娘と住んでいる。

そしてその下の娘が今度お店を始める。


相変わらずバタバタと仕事をして、ちまちまと悩んだり笑ったり怒ったり歌ったりしている。

反省は死ぬ時すると決めている。
まだまだこれから面白いことがありそうだ。

更年期も抜け出られそうなので、これからまたぼちぼち忘備録を書いていく。

La vita e bella
http://s.ameblo.jp/tomorrw423

あまりにも久しぶり過ぎて、ブログの書き方がわからなくなってしまっている。
忘備録。
10月22日、母が亡くなった。83歳だった。
父の一言にキレて家出してきて10年。
一時は転倒や薬の副作用で要介護4でほぼ寝たきりだったが、この5年くらいは少しづつ元気になり、オムツはしていたが自力でトイレまで行けるようになっていた。
ここ一年、転倒が多く、仕事に行くのも気が気ではなかった。
前日も帰宅したら尻もちをついていて、うんこおしっこまみれだった。
そんな母に、私はかなり怒ってしまった。
シャワーを浴びてさせ、オムツを替えて、夕飯を食べる時も、私は不機嫌だった。
その日は夜、友人に飲み会に呼ばれていたが、それにも行けなくなってしまって母に当たった。
眠る前にミカンを食べ、「甘いね」と話しをして「じゃあそろそろ寝るよ」と言う母に、最近毎日言っていた「また明日ね」と言わなかった。

いつか母が起きてこない日が来るという覚悟はあったから、毎日「また明日ね」と言って寝ていたのに、その日は言わなかった。

次の日の朝、母と朝食を食べさせようと起こしに行ったら、母はもう冷たくなっていた。

覚悟していたのに、私は錯乱した。
母を起こそうとした。
母に馬乗りになり泣き叫んだ。

母ちゃんごめんしか言葉が出なかった。

忙しさにかまけ、他人の介護などしながら最後の最後に母に優しくしてやれなかった。

母は寝ているようなきれいな顔だった。

往診してくださっていた先生にも、たくさんの人たちにも、「理想的な最期だよ」「良く面倒みていたよ」と言われ、娘たちも、労をねぎらってくれたが、私には前日の後悔しか残っていない。

苦しくて辛くて、涙が止まらなかった。

決して褒めてはくれなかった母が、私の友達に私が良く面倒みてくれていると言っていたと聞いても、苦しかった。

最後の夜、母の冷たくなった手を握って寝た。
母ちゃんごめんと何度も謝った。
母の好きだった歌や子守唄を歌った。
爪切りをした。
身体を拭いて、化粧をした。
それでも罪悪感が消えなかった。

幼い頃、何度も父に殴られる母を見て、いつか一緒に住んで母を幸せにしようと思っていたのに、私は何度も母を叱った。厳しい言葉をはいた。

娘たちが思春期の頃からの同居だったので、その軋轢も辛かった。

忙しいことの罪滅ぼしのように色々なところへ連れて行ったが最後の日のことが頭にこびりついて離れない。

母ちゃんは幸せだったかな。私は母ちゃんを幸せにできたのかな。
なんで「また明日ね」って言わなかったのかな。

母ちゃん、私が死ぬ時は迎えに来てね。
母ちゃんが大好きだった。
母ちゃんに届いてるかな。

母ちゃんごめんね。
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暑い夏が早く終わるように

「さよならの夏」歌ってみました。


今夜は千葉中央のレストラン邪夢でライブです。




アフリカの月という曲を歌ってみました。

ギターのいっちゃんと

25日に千葉のCaffe nossaというブラジルレストランでライブします。


歌うの楽しいっす。



いっちゃんと、「ピーナッツバター」というユニット名で


これから少し活動をしていく予定。



二人はピーナッツ♪一人じゃない♪

君と二人なら世界は開いていく。


自分が写ってないと思ってひどい顔で歌ってます。


初回ライブは20日。