実家への滞在時間というものは、歳を重ねるごとに短くなるものです。5年ぶりの帰省は、早くも終わりを告げます。......あまりにもあっけない幕切れとともに。

 

 盛岡駅より中心市街地エリアに向かうためには、東北最大級の河川、北上川を超える必要があります。駅周辺には実に4本もの橋が掛けられており(北側から、夕顔瀬橋、旭橋、開運橋、不来方橋)その中でも、中心部に直行するルートの一角を担う橋がこの「開運橋」です。

(この地図では北側から、旭、開運、不来方、となります)

 

「みちのく盛岡心のふるさと」の碑

 北上川には両岸に散策路が設けられており、開運橋から少し北に歩いたところに、この碑が建てられています。

 

ああ、空はこんなに青いのに。

 最終日の盛岡はとてもよく晴れていました。澄み切った青空に、雪化粧の岩手山と盛岡の街並みがくっきりと浮かび上がります。

 東京に戻るのはいつも最終の新幹線。晩御飯を食べるにはまだ早い夕方のひと時を実家で過ごしていた、その時。

 

令和6年能登半島地震が発生

 北陸・上越新幹線はすぐさま停止し、東北新幹線も運転見合わせとの情報がテレビから聞こえてきます。次の日から仕事なのに帰れなければまずい......! 急いでバスに乗って駅へ向かい、すぐに盛岡を発つはやぶさに乗り込みます。

 

この時の私、以外と冷静でした。

 「せっかくはやぶさに乗るなら」と、グランクラスを選択。乗り込んだ「はやぶさ38号」はすぐには発車しませんでしたが、サービスはどうやら普段通りに行われているらしく、のんきに軽食と地酒で晩酌を始める始末。身を案じてくれていた同僚も、さすがにあきれていました。いい感じにお酒がまわり、少しウトウトし始めたころに電車は駅を発つのでした――。

 

 

――――――――――

 5年ぶりの帰省は、忙しいうちに終わってしまいました。しかし、それでよかったのかもしれません。盛岡という街は今でも好きです。ほどよい発展具合と東京とは明らかに違う流れ方をする時間に、やはり落ち着きを覚えずにいられません。「心のふるさと」であることは、間違いないのです。

 とはいえ、私が安らぎを覚えた「田舎」としての盛岡は、もうどこか彼方へ行ってしまいました。そして戻ることはないでしょう。

 街から雪は消え、家に遊びに来ていた野良ネコは死に、祖母は私に同じことを何度も尋ねてくるようになりました。時間の流れとはそういうものです。私が成長すればするほど、先立つ者たちは老け、やがて死んでいきます。それは必ずしも悲しむべきことではない、というのもまた事実だと私は思います。

 

 私自身もそろそろいわゆる「いい歳」が近づく中で、失われつつある「田舎」の風景に一抹の寂しさなど覚えるとともに、この街に対する考え方や見方、付き合い方の変化を予感させる不思議な旅でした。

 

【了】