


こんな投稿ネタを見て、ああもう年末か、入試か、と焦りが極まってるtomoです。
えーー、今年もしがないブログをみてくださり有難うございました。
サブで始めたこの日記ブログもそろそろ2年目突入でしょうか..
月日の流れは早いものです。。
この前、後悔先に立たず、破鏡再び照らさずをやってしまいました。
受験勉強で寝るのが遅くなってから、勉強以外のことに脳みそが対応できなくなってきました。
裁ち鋏の裏スキを砥いでしまいました。
あーあ。
ちょっと砥いで「あっ」ってなったので良かったですけど。
それも、間違えて砥いだのが使わない刃先だったので良かったですけど。
..受験生が年末に鋏やら鎌やら包丁を砥いでいていいんでしょうか。
受験勉強が佳境に入りそうです。
1年生の頃いじめで受けられなかった授業の分を取り戻さなければ。
いじめた側は何の不利益も被らず今もヘラヘラしている。教室に居づらくなることもない。こっちは孤立して、向こうは今もたくさんの友人に囲まれている。
相手を信用したり、新しい友人を作れなくなってしまった。心の思うままの事なんて
、クラスでは絶対に言えない。個性?疾うの昔に捨てました。ただ阿諛追従するのみ。
いじめた側が本気で反省したり、片時も忘れずに何時も思い返したりするようなストーリーが道徳の教科書に載っているけれど、あんなのは現実的じゃないと思う。極僅かな、謂うならば良心的な事例であろう。敢えてそこだけを抽出して公の教材にするのは何だか変な気もする。現実は違う。寧ろ、もっと普遍的な心情を題材にしないのは何故なのだろう。
道徳の教科書のストーリーを書くのは一体どんな人だろうか。「被害者側の視点」で、徹底的に相手を厭になったりした人は含まれるのだろうか。否か。
私の今までに触れたストーリーは、概ね、「いじめた側が謝り和解」か、「いじめた側の視点で、謝れなかった後悔」といったところである。こんなに甘い現実があったらいいなぁ、と思う。
で、彼等は何の支障も無しにちゃんと授業を受けて、成績も良いだろうし、3年間習ったこと全体を憶えていて、良い高校にも行けるんだろう。此の世の不条理。
そんな怒りに任せて、偏差値70を目指し復習を続けています。
社会が一番の課題だな..唯一60に届いたことがないんです。
塾にも通わずカバーするのはかなりキツイです。
教科書も、怒りで潰したりしてしまって原型をとどめていないものが多いです。唾を掛けられて廃棄した教科書もあります。
3年生に入って漸く、真剣に学習できる環境が整ったので、その辺りは大体わかります。しかし、1年で習う時差なんて「なにそれ?」状態ですし、ねじれの位置やら空間図形内での平行や垂直も最近覚えたばかり。
三角形の外角の性質なんか、習うということを知りませんでした。自分で開発した裏技みたいに周りに自慢したら、それ学校で習ったよって言われました。
皆さん良いお年を。暫くブログ開かないつもりなので、返信も遅れます。
..多分。
maybe..probably..perhaps..

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