やっとできた時間を存分に楽しみたい。何をしようか。上海に住むのはこの時が2回目だったので、貴重な時間を観光には使いたくなかった。買い物したいようなものも特にない。ふうむ、どうする?



 出かけるなら服とかバッグとか、と少しは思う。いつも汚らしい、小さい子供の世話をして一緒に遊ぶのに便利なだけの服を着てるから。ハンカチとお財布だけが入ればいい小さいバッグなんてしばらく見かけてない。まだどこかに持ってたっけ。それでそういうのは、その辺のお店に一見あらいいね、というのがたくさん売られているけど、これでいいかなぁと少し迷いつつ買って家に持って帰ると、あれやっぱりなんか、こういうんじゃなかったなという気になってくる。おっと、と、すぐ部品が取れたりするし。じゃあもうちょっとちゃんとしたのをデパートとか、モールに入ってる店で?と行ってみても、欲しいものにはなかなか出合えない。若い店員が、それはシーマオ(時+髪の下が毛。ファッショナブル)よー、それも今年のリュウシンー(流行。流行ってる)と、他の言葉を使うと客が逃げると習ってるかのように、シーマオ―とリュウシンーを連呼する。私あんまりシーマオじゃないし、リュウシンじゃないのを買いたいんだけどと言うと、ここはいいお店でよく商品を選んでるので全部シーマオでリュウシンよーと言ってくる。じゃあ、シャオイーディエンリュウシン(少一点流行、少なく流行ってる)のやつある?と聞くと、アイ―、メイヨウー、チュエンブードウシ―フェイチャン(非常)シーマオ、フェイチャンリュウシン~(もー。ありませんー。全部すごくファッショナブルですごく流行ってるのですー。)と、向こうも私とはわかりあえないと実感する様子。それに高めの服はキメキメ感がすごくて、とても普段着られそうにない。一度中国人の友達にそのことを言ったら、ナーダンランヤ!(そんなの当たり前じゃん)と答えた。高い服を買うんなら、高そうに見えなきゃ損じゃないと。なるほど。でもプシューフ(不舒服、快適じゃない)でしょ?と言うと、それは我慢よ我慢との回答。え、じゃあそれは、工事現場の出稼ぎワーカーたちが、スーツで決めてるのと同じこと?と聞くと、あれとは違うわよ、と。ふーんそう、と答えながら、でも本質的なところは同じなんじゃない?と思っていた。だいぶ前の、発展中の都市模様。もう今はああいうのはないと思う。



 そういうわけで、買い物もなし。じゃあどうするどうする、貴重な時間ですからね!と考えはしたけど、実はすることは別に何でもよかった。家で研とイェンイェンがDVDを見始めたらそーっと玄関を出る。気づかれなかったら大成功。気づかれて大泣きが始まっちゃったら、ごめん~と言って急いで玄関を閉める。イェンイェンによると、そのあと研は少し玄関を見て泣いたあと、わりとすぐにけろっとして遊び始めるということだった。外に出た私は、おなかにもせなかにも、足元にも小さい子がくっついていなくて、彼らの非常用の食物、飲み物、着替え、タオル、オムツ等の入ったでっかい荷物もないという、とても身軽で、体重が三割減少したような気分。一歩一歩が空中のような、

 


 

 。。。。。。。。。。。現在の一昨日、4月1日の朝、ここ↑まで書いたところで時間切れになった。夫が起きてきて、みんなが起きてきて、朝ごはんになった。今、子供たちはイースターを挟む2週間の休暇中。今年は柚(娘。仮名)が大学前の最後の年で勉強に追われているため遠くまで旅行したりはしないが、たまにはちょっと、と、ベルギーのSpa という小さな街まで一泊で行くことになっていた。日本でも売られているかな、炭酸なしの青のSpaと炭酸入りの赤のSpa。ペットボトルで売られてる水。その水会社の工場があるところで、あと英語や日本語のスパの語源となった温泉の街。ついでにリエージュによって、ざらざらワッフルを食べてくる計画。自宅から3時間ぐらい、久しぶりに家族4人で車に乗ってでかけた。運転は夫なので、助手席から携帯で続きを書くこともできたし、ひょっとしたら宿で早起きして続きをやるかもと、ラップトップも持って行ってみたけど、やらなかった。むしろ携帯は鞄の中に入れっぱなしにして、カバーを開くもしたくなかった。ラップトップもケースに入れたまま触らなかった。そういう気持ちを持ってることに、自分の行動を見るまでほんのりとしか気づいていなかったけど、書くために思い出すということをしたくなかった。


 今書いてるところ、上海での生活のところが特にいやなのではない。ここまで、特に過去からさかのぼってきてる方で、それと増えてきた場面の数で、負荷がかかってる。私の脳みそはある種のストレスに弱いと思うけれど、多分この種のストレスに一番に弱い。この種というのが具体的になにかはよくわからないんだけど。だいたいこの辺りの。




 このブログは、今年の始めに日本から戻ってきた時、時差ボケを利用して、朝の時間に書き始めた。まだ家族がみんな寝ていて、私の寝室(リビング)にも誰もうろつかない時間。カメもまだ寝ていて、鳥が鳴き始める前の、静かな外と壁と壁の2人と時計と私だけの時間。3時ぐらいに起きて、1時間ぐらい書き、ちょっと違うなと直したり、写真を足したりとあと少し思いついたことをしてると全部で2時間近くかかる。だいたい毎日日本時間20時(こっちではお昼)に新しい記事が出るようにしようと、特に根拠はなく決めた。日本で副業ライターという本を見て、あ、こういう仕事?と思ってたので、毎日書くという躾をして、書ける体力みたいなのをつけられればいいな、ぐらいには思っていたんだったかな。ヨガに行く日は、6時半までにスタジオに入るようにするために、5時15分に家を出る。遠いので。朝走る日も、同じぐらいに出て朝ごはんまでに帰ってくればいいんだけど、暗くて寒いのでまだ走る気にはならない。なので、書いて、予約投稿をしたあと、もう一回ベッドに入って、本を読みながらまた寝たりする。みんなが起きてくるまで。それでうまく行っていた。ヨガやランニングから戻ったあとで、もうちょっと変えたいところを思いついたら書き換えたり、挿し絵を足したりして。でもだんだんと、書くために起きるが嫌になってきた。目はバチンと覚める。前夜、こっちの20時ぐらいにはもう完全にベッド(居間のソファベッド)で寝る態勢に入ってるので、睡眠時間は足りてる。書きたくないのじゃなくて、詳しく思い出すのに疲れてきてた。

 

 

 書くことそのものは、いちいちの出来事と私の間に距離を作るようで、よい効果が出ているのを実感してる。ちょうどヨガで今この瞬間、自分の呼吸や身体の反応に集中して、全部を一度忘れる、全部から一回離れる、のと似た結果がでる感じがする。でも思いだす方。友達には驚かれるけど、とても鮮明に、今体験中のように蘇ってくる。それで書き終わったからとて、掘り起こされた記憶はすぐに消えてなくなったりしない。奥の奥の方で、クローゼットの中の棚の中の箱の中の小さい箱の中のもうちょっと中の方の下の方にしまってあったのを開いて中を確認しちゃったら、それがすぐに自動的にそこへ戻って行って、クローズクローズはいさようならとまた大人しく見えなってくれるほど、便利にはできてない。このブログで、ずいぶんたくさんのエピソードをそうやって開けちゃってきたので、もうクローゼットはぐっちゃんぽん。たくさん積んである古いおもちゃに全部スイッチ入っちゃいましたみたいな混沌。一番鮮明なところ、過去から進んできてる一部分と今の方から進んでってる一部分、それに現在の私の、収入源を確保したい、一人で生きていくいにはあれもしないとこれもわかってないと、の焦りとか不安とか、にプラスで、その混沌がちゃんかちゃんかやってるので、私の小さいブレインに限界がきたみたい。ブレイカー落ちます、の感じで、ここのところは、眠る以外やりたいことがない。スーパーで牛乳を買うとか、ご飯を作るとか、まだできるけど、やりたいことは寝ること。やってもいいとすぐに思えることは、続きを書く以外のこと。余計なものをたくさん食べるようになってきたし、アルコール消費量も増えた。
 

 



 このままいくとよくないので、ストレス軽減を目指してペースを変えます宣言! 
 とはいえ、私自身が誰よりも一番早くこれを終わらせて、次の企画、もっとおもしろいことを新しく始めたいと望んでいるので、そんなには時間をかけたくありません。夏がくるまでにはこれが終わっていて、新しいのを楽しんでもらえるなりますようにと。そのように願っております。

 ということで、今後ともどうぞよろしくねと。あなたによい一日を願って、本日の挨拶と代えさせていただきます......。