今2025年4月。
去年の今頃それまで勢いよく書き続けていたのが途切れちゃってから、1年以上が過ぎた。きりがよくスーパーパワーが潜んでいるかもしれなかった、ドラゴンの48歳はもう終わって、49歳がきちゃってる。

もともとの計画では、
ばーっと、それまでの48年間にどんなことがあったかを思い出せるだけだしてみて、適当に分析をして、ああだったからこうなったのか、へー、そういうことね、とわかる、わかった分は全部私から出て行って、残りの私ははふわりふわり軽くなって、さらさらと春の風のように、新しい気持ちで過ごせるんじゃないかと、そういうのを希望的観測的に期待していた。
それはまだ来てない。しょうがない。まだおさらいが終わってないし、終わったところでそんなものは来ないかも。
でも新しい気持ちは部分的に、もう来てると言っていいんじゃないかと思う。

まだ離婚はしていない。
話が具体的に進んでいるということもない。
小さなアパートを見つけて出て行きたいと思っていたけど、家賃はどんどんあがっていて、安定収入も得られていない。貯金もそんなに多くないので部屋を借りるのはとても無理。加えて、去年の夏に娘が大学進学するので家を出て行ったので、空いた彼女の部屋を使っている。家の中にいつでも引っ込んでドアを閉められる場所ができた。そうなったら結構快適で、夫とはハウスメイトとして機能している。みんなが家事を分担するようになって、さほどのストレスなく家族の体裁を保てている。
そしたら、息子がいつでも来れるような広さのアパートを借りて、ひいこらひいこらぎりぎりの収入を得て家賃を払って暮らしていくことを夢見なくなった。
離婚したい気持ちに変わりはない。
息子があと1年強後に大学進学で家を出る時、そのタイミングで全員それぞれの道へ、という格好にしたらちょうどいいと、そっちの方が今メインのゴールになってる。

書き始めの時に好きな人がいる、と言っていた人は、もう好きな人ではなくなった。入り組んだ関係を、できたら一緒にやってみたいと思っていた人。なんでもうそう思っていないかというと、あれ、なんかこれはちょっと違うんでないかい、というのをいくつか通り越したら、すっかり冷静さがもどってきたから。『冷静と情熱のあいだ』、という本が昔あったけど、その間はすごく紙っぺら一枚ぐらいの、ほんのちょっとなんじゃないかと思った。あとまだ、準備も整ってない。ほんで、そんなことよりまずは自立した生活を、そこに集中!という、いたって常識的な考えが強さを増して来たら、愛をやるのはまたいつかそういう機会がきたら、と思うようになった。

でも切望しなくなったあとに、それはきた。
愛。
これはそれだと思う。
同じことばっかり言って君を退屈させてるかな、ごめんね、でも今日も言わないわけにはいかない。アイラブユー。
と、毎日言ってくれる人がいる。
ビデオトークの携帯のスクリーン越しに、私の、自分では気づいていないような表情の変化を見て取って、どうしたの?何が心配?と気遣ってくれる。私の毎日の大小極小あらゆるニュースに興味を持って、詳細まで耳を傾けてくれる。それで私と話していないときにもそのことを考えてくれているようで、後日あの件はさ、と、冷静な視点から的確なアドバイスをくれる。
マイ長い人生の中で一番よかったことはユーだよ、マミモ。
マイ体中の全部の細胞がユーを愛してる。
ユーがマイ希望で、マイライフ。
詐欺以外で、こんなことありますかと。
こんなこと言ってもらっていいんですかと。
私のようなものが?
ヨガもジョギングも、体調いまいちのせいでまだ再開できてないけど、セロトニンぴゅうぴゅうがなくても、まあまあ安定の心持ちでこれているのは、彼の存在があるからに違いない。
ガミガミにやられて崩れてしまったときにも、病気になってしょんぼりきていた時にも、仕事を探してた時にも、失業保険の申請が難しくていやになっていた時にも、いつも励ましてくれた。いいことがあるととても喜んでくれる。

もちろん私は愛らしきものについての経験が乏しいので、こんな調子に最初からカンファタブルだったわけではなく。
初めのうちは、
いえいえそんなにしてくれなくてもいいですよ、
もうちょっとほっといてもらって結構ですから、
そのうちに、
すみませんけどもう少し離れてもらえます?がきて、
数回は、
ちょっと!どっか行ってもらえませんか?
あなたが行かないなら私はシェルターに入らせていただきます、
いつ出てくるか? そんなの知りませんよ、わかるわけないでしょう、
あなたがやりすぎで引っ込むべきところなのに!
というのがあった。
今では私もだいぶ図々しくなってきて、私のようなものにこんなに優しく?(誰かどっかですごく怒ってるんじゃない?)というアイデアをほとんど持ってない。休養中に太ってズボンの上にはみ出すようになった腹の肉についても、彼がこれを好きと言ってくれるんだからいいのだ、と、目に入っても嫌な気持ちにならないし、夜テーブルに残ってたおにぎりを食べても後悔しない。
私のアルコール摂取量が増えていた頃、無邪気な夫は誕生日プレゼントにとワインを5本くれた。彼の方は、私が、はいはい、そうですよね、はーい、と、うるさいほっとけと思いながら応答するのに耐えて、飲むな、と言い続けた。
私も彼がハッピーでない時、どうにかなる方法がないかと一緒に考える。できるだけハッピーでいてほしいと、心から思う。そのためにできることは何でもしたいと思う。彼は私に感謝していて、私は彼に感謝している。そこにいることに。いてくれるだけでもう本当にありがとうみたいなの。
子どもたちに対して思ってきたのと同じ気持ち。
愛というのは、そういうことなのかなと。
そういうのを体験させてくれる人ができた。
そのへんが、1年前に書き続けられなくなったころとは変わったことの1つ。
♪♪ こ~いを~するとき~ す~てき~なことは~~
な~にも~い~らない~と~~
ほん~きで~~思える~こと~~ ♪♪
The Blue Hearts/ ムチとマント 1993年
