ながらくブログを放置していました。
すみません。
色々と思うところがあり、UPできないでいました。ちょっとながいですが、読んでいただけたら嬉しいです。
学祭の様子をUPします♪
かわいい子どもたちと
RaMuse
うふ
粘土
ポストカードとか
絵
学祭は、とても楽しかったです☆
ただ、今回は、考えさせられることが起こりました。
閉店間際に、私のブースを見ていた人に、絵本を売ってほしいといきなりいわれました。
この絵本は、あくまでも展示品だったし、
スケッチブックに原画をコピーしたものを貼っただけだった。
え、どうしよう!!売ることなんてまったく考えてなかった私は、めっちゃキョドった。
でも、私は、瞬時に、お金をとらなければならないものだと判断して、
思わず1500円でどうですか?
といった。
お金をとることを一瞬ためらったが、
これは売り物ですか?って、開店中に言われたこともあったし、私にとって、この絵本は思いいれがあるものだから、値段をつけた。
お客さんは、
いくらでもいいので、ほしいです!!と言ってくれた。
嬉しかった。
ものすごい興奮した。
1500円をもらったとき、絵本を手放す寂しさとともに、得体のしれない高揚感に襲われた。
でも、良く考えたら、200円くらいのスケッチブックにコピーを貼っただけなのに、1500円って、どんだけ高いんだ!!
友達にも、1500円は高いよ!!って言われた。
そうだよな・・あたしはなんて傲慢で貪欲な人なんだ。って後悔した。
そのうえ、元彼にそのはなしをしたら、お金をとるってこと自体、信じられないね!!と言われた。
素人が作ったものをほしいと言ってくれる人に感謝して、どうぞもらってあげてください!ってくらいの姿勢じゃなくちゃだめだよ。と。
でも、作品は、価値をつけなくてはいけないものだと思うし、価値は自分と相手の合意でなりたつものだとおもっている。
仮に私がそのときに、ただで譲ったら、お客さんは逆に戸惑うだろうし、私の絵本を価値のないものと思うかもしれない。
ただで譲ることは、やさしさでも感謝の意でもなんでもなく、芸術家としての最低な行為だと思う。
作品にお金を払わないでもらうことによって、世の中の作品というものの概念が崩される危険もはらんでいるのだ。
ただにするほど、だれか作者じゃない人が価値を決めるほど、素人の作品は価値がないというのか?
作品って、なんだろう。
自然とでてくる排泄物とは違う。
自分をただ表に表現するだけではない。
それなら、ただの自己満足。
自分と向き合ったり、考えたり、時間をかけたり、納得したり、憂いたり、激怒したり・・・
素人なりにも、下手なりにも、自分と作品の間の関係は見えているはず。
だからこそ、価値を判断するのは、やはり作者自身。
買い手がその値段に不満を覚えるならば、きっと、そこまでなのだ。
作者は、自分と作品の価値を下げてはいけないし、あげてもいけない。
その点は、頑固じゃなくてはならないと思う。
私がもし、あの絵本を800円で売っていたなら、いまでも後悔していただろう。
ただで譲っていたら、それこそ、自分の子どもを盗まれたような錯覚に陥るでしょう。
それほど、私は、あのスケッチブックにコピーをはっただけの絵本に愛着を持っていたし、価値を見出していた。
やはり、800円でも2000円でもなく、1500円の作品なのだ。
駄作ほど、作者との結びつきは強い。
いまの私には、自分の作品すべてが駄作であり、そして、特別なのだ。
このことがきっかけで、作品の価値について考えさせられた。
と同時に、作品を生む怖さも知った。
これから私はどこまでいけるだろう。
駄作を通り越して、傑作を残せるだろうか。。
これは作品だけじゃない。生きかたもそうだし、商売もそう。
とにかく、学祭であまった粘土をどうしようかが今後の課題だ。笑