2003・4年…2002年に主力選手が大量に離脱したため、実力が伴っていないのに無理矢理トップ戦線に担がれる。永田に「普通の選手で三年かかる事を一年でやれ!」と言われる。

武藤と藤波をパクったミックスしたファイトスタイルに、好感を持てなかった。女性ファンが多かったが、その綺麗すぎるファイトスタイルに不快感を覚える男性の新日本ファンが多かった。

U-30というベルトは、殆んど無意味だと思っていた。

2005年…グズグスだった東京ドーム興行で、中邑とメインで対決し二人で大会を締め括るのに相応しい闘いをしメインの責任を果たした。

中邑と長期的にタッグを組んでいた事に、違和感を覚える。

年末に後藤とU-30のベルトを掛けて試合をしたが、棚橋が入場してくるときに男性客に頭をどつかれる。

2006年…東京ドームで柴田と対戦し、柴田の狂気的でただ相手を潰すだけのファイトスタイルに、真っ向勝負をした棚橋はよく戦ったと思った。

2006年6月…仮想ブロックレスナーとしてバーナードとシングルマッチをし、軽快な動きで相手を翻弄しながらも、バーナードのパワーに圧倒され血みどろになりながらもバーナードに勝利した事に、少し棚橋を認める。

2006年7月…その当時チャンピオンだった、ブロックレスナーがタイトルマッチをドタキャンする。

代わりに急遽トーナメント戦をし、棚橋はバーナードを敗り初めてのIWGPチャンピオンになる。

8月…チャンピオンなのにG1クライマックスを予選落ちした事に、観客から大量のバッシングとブーイングを受ける。

2007年4月…永田にIWPGを奪われた棚橋の試合内容は、永田をコーナーポストに膝を打ち付けたりしてブーイングを煽るような闘いをしていたが、躊躇をしてるように見えて思いっきりのよさが無いように見えた。

8月…G1クライマックスで初優勝したが、当時、極悪役の真壁と棚橋は準決勝で対戦したが、圧倒的に真壁の声援の方が多かった。これは判官びいきではなく、棚橋より真壁の方が人気が高かった。

10月…IWGP王者・永田と対戦したとき、応援してた永田に勝ったが、黒いロングタイツを履いてチャラさとエグさを兼ね備えたファイトスタイルが開き直ったように見えて、好感を少しずつ持ち始め男性ファンも少しずつ増え始める。(棚橋がIWGP王者になる)。

11月…凱旋帰国した勢いのある後藤に、チャラさとエグさ(キャラクター)を完全に確立し、後藤の危険な技を全部受け入れた上で勝利した棚橋に対して、プロレスラー棚橋として、そしてチャンピオンとして完全に棚橋を認める。

ここから棚橋は中邑と切磋琢磨し、新日本の象徴になるべく戦い続ける…。