2005年2月 両国国技館 での試合だ。

当時、全日本プロレスに所属していた小島が、先日 全日本プロレスの象徴である・川田を敗り三冠ヘビー級チャンピオンになったばかりだ。
この頃の小島は、一番勢いがあったと思う。

そして、天山がIWGPのチャンピオンだった。

何と、天山と小島がお互い持っているベルトを掛けて、試合をしたのだ。

つまり勝った方が、新日本プロレスのベルトと全日本プロレスのベルトを両方所有できるのだ。

このカードが決定した瞬間、チケットが売れに売れ、両国国技館の前で長蛇の列が出来上がっていたのだ。

会場には、天山ファンと小島ファンが二分化した。

(新日本プロレスチャンピオン)天山 VS (全日本プロレスチャンピオン)小島 【60分1本勝負】

この試合は、お互いが体力を奪い合うような闘いをしていた。

気が付けば、40分経っていた。

この辺にきて、長年プロレスを見てきた僕の勘としては【60分引き分け】で終わると思った。

しかし、試合開始55分辺りで天山に異変が起きた。

何だかフラフラしてて、しっかり受け身が取れないのだ。

天山は、脱水症状を起こしていたのだ。

この異変に気付いた、まともだった飯塚が天山にゲキを飛ばしたり、西村が天山に水を掻けたりしていた。

天山がうつ伏せになったまま起き上がれない。

小島が天山を無理に起こそうとしても、起き上がれない。

試合は、60分以上はない。
残り時間、後約30秒で、全日本の和田レフェリーがダウンカウントを始めた。

小島がイライラする。
小島が天山に激を飛ばしたり、無理やり起こそうとする。

そして、試合が終わるゴングがなる…

59分47秒・小島の勝利…

僕は何が起きたか、一瞬分からなかった…

でも、和田レフェリーのダウンカウントは正解だった。
明らかに小島が勝っていたし、天山の命にも関わる事だったからだ。

そして勝ち名乗りを上げた小島は、何と…新日本のIWGPのベルトを帰り際にリングに投げ捨てたのだ!

僕は、この行為に対して怒りは感じなかった。

小島は敵としてリングに乗り込んだのだから、ヒールに徹したのだろう。

小島がこの行為をして、観客がブーイングを浴びせなかったことに僕は怒りを感じたのだ。

新日本プロレスのホームリングなのに…。

そんだけ当時の新日本は、カオスだったのだ。

その後、天山は脱水牛と揶揄されるようになった…

天山の辛い日々が続いた…