竜ちゃんにだけ、特別に記事を書きます♪(でも、皆様を読んでね♪)

何気に竜ちゃんから、コメントが来るのをちょっぴり恐れていました(笑)

アントニオ猪木のグルっぽに入会してるから(^_^ゞ
昭和時代は知りませんが、90年代の新日本プロレスには歓喜しました♪

Uインターとの全面抗争。
闘魂三銃士。

NWO旋風(Tシャツ持ってます♪)

武藤と橋本のG1クライマックス決勝戦。

橋本と小川の男と男の、引退を掛けたガチンコ勝負。

スタイナーブラザーズ・スコットノートン・バンバンビガロ。

94年の伝説のスーパーJカップ(ライガー VS グレート・サスケ)。

トンガリコーンズ。
ワールドプロレスには、青春時代に本当にお世話になりましたm(__)m

ただ、橋本と小川の抗争が終わったら、何となくワープロを見なくなりました…。

そして学生生活も終わり、少しお金に余裕が持てるようになって、2004年7月から本格的に会場に行って新日本を観戦するようになりました。

その時期にNOAHにも観戦しましたが、やっぱり新日本の殺伐とした闘いが好きなんですよね♪

その後、毎月のように後楽園に行って観戦するようになりました。

同時に週刊ゴングを見るようになり、私は新日本の裏の事情が段々と分かるようになってきたのですよね…。

でも、評判が悪かった2005年1月の東京ドーム(メインがU-30を掛けた、中邑VS棚橋)
2006年1月の東京ドーム(長州力が自分勝手にブッキングした)興行は、最高に素晴らしいと思いました♪

僕は当時、永田と中西の大ファンでした。

だから、2005年1月に北海道で永田さんが涙を流したときは、僕も悲しくなりました。

それから、永田さんはチームJAPANを結成しヒールに転進しましたよね。

僕も、新日本に対してヒールになりました。

つまり、2005年の6月位から5ヶ月間位・新日本を観戦しなくなりました。

では、なぜ僕が新日本に戻ったかというと…

長州力が現場監督に再びなったとき、週刊ゴングで過激なインタビューを読んで、興味が湧いたのです。

正直、会社に無理矢理・担がれていた時期の中邑・棚橋はあまり好きではありませんでした。

でも、06年東京ドームでの 中邑VSブロック・レスナー 棚橋VS柴田は、殺伐としていて最高に素晴らしい闘いでした。

あれっ?僕は、何が言いたいんだ?(笑)

つまり…
PRIDEは、どうしました?
総合格闘技のブームは、どうしたの?


PRIDEは、どうしました?
総合格闘技のブームは、どうしたの?
ミルコ・クロコップは今・何をしてるの?

今でも永田さんは、愛知体育館でベルト掛けて試合をするんですよ!

これが、答えです!

これが、新日本プロレスの答えです!

もう、猪木の事は触れません。

これからも、一緒に新日本を応援しましょう♪

※2007年の後半辺りから、棚橋・中邑の事が好きになりました♪