新日本プロレスは、2004年から2006年・暗黒期と呼ばれていた。

理由は色々ある。
2002年に、武藤・小島・佐々木健介・ケンドーカシン・長州力など新日本の主力選手が離脱したこと。

佐々木健介・天龍源一郎・鈴木みのる・藤田和之のなどの外敵達に、スポットライトを浴びせたこと。

まだレスラーとして一人前ではない、中邑・棚橋・柴田勝頼を無理矢理“新・闘魂三銃士”としてくくり、その三人を会社が担ぎ上げたこと。

ちなみに棚橋と柴田勝頼は、犬猿の仲だった。

当時“PRIDE”などの総合格闘技が流行し、新日本プロレスがそれに呼応したこと。

アントニオ猪木の強権発令により、ポンポン社長を変えたこと。

2005年に、永田・中西などが社長から「お前らは新・闘魂三銃士の踏み台になれ」と言われたこと。

そして、2006年の契約更改のとき、西村・吉江豊等の代表する11人の新日本の所属選手が離脱したこと。

この時期プロレス・格闘技ファンは、PRIDE・または、ブレずにプロレスの王道を貫いてきた・NOAHに流れた。

もちろん新日本の観客動員数は、減少した。
そして、実際に新日本の会場に来ていた観客も、新日本に不信感を抱いていた。

では何故、新日本プロレスは暗黒期をを脱け出せたのか?

2005年の下旬に、新日本を棄てた猪木に変わって、“ユークス”というゲーム会社が親会社になり、新日本の叩き上げの菅林さんが社長になったからだ。

新日本が崩壊寸前のとき、ユークスが拾ってくれたのだ。

ユークスは、現場に殆んど口を出さなかった。

菅林社長は、極力、外敵を排除しプロレス地道路線を貫いた。

そして2007年、中邑・棚橋がレスラーとして飛躍的に成長し、メキシコから凱旋帰国した後藤が新日本の台風の目となり、そして永田ブームが到来した…

この文章を読んで、誰に同情しますか?

誰に怒りを感じますか?

誰を誉めたいですか。

あえて僕は、書きません。

どうか、皆様・コメントを宜しくお願いしますm(__)m