当たり前すぎて
きっと気付きにくくなっているだけ




水のある風景
豊かさのいろ
幸せの 音


神様とか精霊とかの声が
いつも「声」「話」として
聞こえるわけではない。
私には 音楽みたいな時が多い。


それが音楽の力にもなっているんじゃ
ないかなあ と思う。


「私は」の理解だけど
死も 見えない者たちの世界も
かみさまたち も
全部 あなたのすぐ横にあって
話しかけられている と 思う


解釈しようとすると
どうしても エゴが入ってしまいがちだから
戒めている人
聞こえない、気のせいと思っている人
都合よくとる人
いろいろなだけ


だって 目の前で話しても
真っ直ぐ取ってもらえないこと
あるでしょう?


こうしなきゃ、なんてない。
一人一人が選んでいい
どっちにしても
いまの自分にわかる範囲しか
物事は理解できない。


気負わなくていい。
いつでも見守ってもらってる。
いつでも教えてもらってる。
いつでもおしゃべりしてもらえてる。