休めアメリカに来てさ、
     やっぱ差別ってものに考えが深くなった気がするんだよね。
     人間ってほんとに、
     狭い知覚のひとが大多数なんだなぁということと
     常に「優位に立つ」「見下す」みたいな
     優劣をつけることに心をくだくひとが 
     一定数いるんだなぁって。

龍でも何とかしたい、とかじゃなく?

休めうん・・・あきらめ、って言っちゃうと傲(おご)ってるみたいだけど
      ただ、そういう人達が一定数いて
      残念ながら 
     その人達の知覚を広げられるひとって殆どいなくて
      その人達は逆次※なものだから 
      カリスマっぽいひとになびいちゃう。
      カリスマとされるひとがこれまた
      偏った自分の知覚が全て、だと
      周りの人が眉をひそめるのも気にならない集団になっちゃう。
   
               ※逆次:松原靖樹さんの記事参照。

龍集団の中だから自分の考えも 肯定される以外 ない。

休め・・・そう。
      多分優位に立つ、ってかなり原始的な動物の本能だと思うんだけど
      人間の場合 生き残るため、というより
      自分が生きていて良いと 自己承認するためのツールになってる。

龍だから本来ないはずの「違いによる上下」をつくるんだな。

休め腕力がある、ないとか、声が高い、低いとか、外見とか生まれたところとか、
     そんなの全部 ただの違いでしかない
      そこに好みはあってもいいけど 優劣や上下をつけたがるのは
      結局 自己承認できないからなんだよね。

龍・・・ともこが言うようになったか 苦笑

休め(オッホン)・・・本来ないはずの優劣・上下を
       理不尽に無理矢理押しつけられるから
       だから差別 って問題になるんだ。

      ・・・・で、根本は 無知であり
      知ろうとしない浅はかさかなぁって。


龍それは経験からの声だなぁ、全く。でも良いと思うよ。
      フラットに受け止められてるなら。

休めその人達 ひとりひとりの襟首捕まえて言ったところで
      届かないからね。

      でも彼らだってさ、指摘されたとたんに
      自分がなにかに覆いをかけ ヒトを悪者や弱者にすることで 
      自分を誤魔化してることにどこかで気付くんだよね。
      その 覆いをみないようにしてる自分も正当化してるって
      ちゃんと気付くんだよね。
      だからどきどきしたり、怒ったりする。

龍うん

休めそのドキドキ、や、怒りの大元をきちんとみることが出来れば
      その人の世界は確実にかわるのに
      そこまで出来るヒトは本当にすくない。
      いや、むしろ出来たら そのステージクリア、って感じで
      もうそういう事、差別とか、とは別のことが目の前に来るのかな。

      自分が持たないものをみたくない、
      例え見ても その人の存在は脅かされないのに
      ありもしないものにびくびくしてるんだよね。

龍その心理は 至る所でみるな。
      今、至近の経験に思い当たっただろう?

休めそうだよねー。・・・私にもあるんだろうな・・・・

龍・・・あるな。

休め えっっ汗 それなにーどんなときー?え

龍それに気付いていくことも学び、
       気付かぬとて責めることでもない。
       いろんなことがまとまって 初めて気付く準備が出来るのだから。
       それらを探し求めようとするのもまた、魂の磨き方。

      良い、悪いではなく
      どうありたいか。
      その在りたい姿に近づくために 日々がある。
      無為に過ごすという選択も渡されている。
      幸せを噛みしめる、というオマケがついているからな。

      差別の根源はなくならない、でも悲しい、
      それをただ感じることも大事。
      物事の成り立ちを考える、それもまた良し。

      そのとき お前がなにを成すか成さぬか
      それとて自由。

休めものごとの帰着点を決めるのも自分ってことね。

      差別と悲しい思いがあるから そんな事に捕らわれてないひとの美しさがわかる。
      バカバカしいと思うから より価値あるものを探す。
      自分が出来ること 自分が成したいこと
      その中心を見ていけ、ということなのかなぁ。


あ、もう聞いてませんね。
猫とあそんでますか・・・苦笑