ひさしぶりに。

こんな色のせいちゃん。


せいちゃんとのお話は
気が触れてる系かもしれません。
っておもってたら ご縁を紡いでくれた 小原智子さん
私もいまだに「龍と話すって、頭おかしいと思われるんじゃないだろうか」と、
無駄に頭がグルグルとしてしまう時がありますが。。』
ってメッセージを下さって
それでも信じたい気持ちが勝るんだよね、と
とても嬉しく思ったのです。



龍と話しちゃダメだよ と言われたこともあるし
ともこさんにはよくない とか


でもさーーーー
良い結果にするかどうかは 私の選択だからね。



ひさしぶりに南ユタのエリアに入っていってみて
エネルギーチャージをしてきたんですけどね
おどろいたのが
せいちゃんが あちこちで大喜びしてはしゃいでるから。


いろんなエネルギー体があるようで
それらと目配せをしながら(挨拶?)
せいちゃん、楽しそうでした。




山が語りかけてくる。
砂が思い出をずっと語ってる。
そんな場所なのです。



もしも せいちゃんを否定するとか
その声をないものにするなら
この大地の音を 砂の声を
風がもってくる ほかの地域の「ものたち」の気配を
ぜーーーんぶ 否定することになる。
すくなくとも 私の中では。


全てがひとつであって
全てがすばらしい創造物であって
私達のエゴが 良いだの悪いだの 綺麗だの汚いだの言うけど
もうそれらは ただ そこに在る



だよねー?と聞くと
うん、と言いたげな雰囲気でちょっと後ろに控えてる(ww)のがせいちゃん。



今回の旅で あんまりせいちゃんに直接は話しかけてないのだけど






アンテロープのオレンジの岩窟を
「子宮みたい」と表現されていたひとがいました。
なるほど、言い得て妙。


蔦田さんがブログで書いていらしたよ。
与えられすぎると自分のセンサーがさびてしまって、
判断力が鈍るんだなと感じています。
うん、全くそう思います。
そして 大多数のひとのセンサーが「なまくら」なので
センサーが尖っているひとには生きづらい。




って思うとせいちゃんの存在の気がかわるんだよ。
嬉しい色をしている。



私は ずっとそうやって
せいちゃんと過ごしてます。