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分別を保つことが出来るか。
それが肝心なのだ。
道を踏みはずすことは容易い。
ほとんど何の苦労もいらない。
だが、未来の恩恵に浴するには、分別を保つことが必要だ。それはどんな恩恵だろう?
恩恵は未来からもたらされるのか?
他人の問題で己がをわずらわせられるのは、
それが本当に問題だとしても、
正しいことではない。
しかしながら、問題をかかえたまま歩くのは、
導火線に火のついた爆弾を携えているようなもの。
その火は消すことができるだろうか?
消せたとしたら、それで何が得られるのか?
得られるものは、はたして手間をかけただけの価値があるのか?
自分の強さを自覚する人間がどうして屈服せねばならないのか?
取るに足らないものに対しては、一体どうして?
思いを抱え続けるには、僕の心臓は、今のままでは小さすぎる。
頼むから、そこに座って話を聞いて。
真剣に話を聞き、意見を述べることが望ましいが、
聞いているフリをしていても構わない。
時間はあまりとらせない。
それはせいぜい、17億9755万とあと2千秒程あればいい。
