私は22歳のときに一度結婚をしています。



就職したくなかったしもう家を出たかったし
結婚に憧れていたし若いお母さんになりたかったから



あまり真剣に考えていなかったかもしれませんし、勢いだったのかもしれません。



更に、旦那さんにはずっと嘘をついていました。



年が離れていたこともあって、何となく元カレ等の存在は話すことも失礼かなと思い



誰ともお付き合いをしたことがないと言い切っていました。



結果として、とても大事にされたし
怒らない人だったからわがまま放題で生意気だったと思います。





あのままだったら仕事も貯金も出来なかっただろうし、思うようにいかなければ他人のせいにする痛い大人になっていたでしょう。



振り返ると大変なことだらけだったけれど
離婚は、私の成長のためにはちゃんと意味があったんだろうなと思うのです。



言い換えれば、私の魂の成長には、
離婚をするために一度結婚するということがプログラムがされていたのかもしれません。



いろんな人に迷惑をかけてしまったし
全くの自己中でごめんなさい…な考えだけど。





ですから、どんな試練も神様からのギフトだという考えかたは私の経験から納得しています。



さらに、乗り越えられない試練は与えられないということも経験済みです。



ピンチがチャンスになるということ
困難なことも意味があるって前向きにとらえることなどは自然に学べました。



これからの残りの人生も、
自然に任せて来るものに動じないで、真摯に捉えてきちんと向き合うことや



結果を追うのではなく、やりきった結果であること。



こういった無理のない、自然体な意識でいれば
いままで通り、この先もずっとちゃんと幸せでいられると信じています。




また、私の生きるテーマは愛ですが
分かりやすく言うと、愛していますはありがとうとイコールなので愛とは感謝に置き換えられます。




まず、すべて私のためになっているということに感謝するということ
感謝される自分であることで返すということは意識の中心にあります。




動じない性格はやっぱりすべて経験からだから
私の成人してからの人格形成のきっかけとなった
離婚や旦那さんにはもちろん感謝しています。





先日、娘たちが父の日にお父さんとお食事会をしてきました。



前から聞いているけれど、17才も年下の奥さんがいるとのことで、ほんと面倒見のいい人だと笑えるけれど幸せでいてほしいです。