わたしの父は長男だったので、昔から回帰法要などは我が家でやっていた。その頃から法事なんて親戚の同窓会のようなものだなと感じていた。

父は3人の姉とは腹違いであった。といっても、伯母たちの実母の妹が父の実母なのでよそに比べると楽だったのかもしれない。

しかし、わたしたちの母の法要は単独でやってくれ、やれ粗供養はこれにしろだの注文が色々だった。


2年前に母方の伯母が亡くなった際、もう何十年も会ってない従姉妹たちと再会した。故人との最期のお別れに万象予定を繰り合わせて参列するのは褒められた事である。しかし、それなら伯母が存命中にたとえ半年、1年にいっぺんでもご機嫌伺いに行ってもよかったような氣がする。


昨年8月に亡くなった母の一周忌を5/19にすると知らせが来たのは4月末。長男のゴールデンウイーク帰省に合わせて休みを入れ替えてたので、5/19は都合が悪かった。そして、初盆を8/3(土)にすると知らせが来た。皆、平日都合がつくのにどうしてまた土曜日‼️そしてその辺も次の週の長男の帰省で休み調整しているため、土日は無理なのである。


満中陰法要もそうだったのだが、母の実の姉妹には声かけしていなかった。毎回皆参加しているのは父の姉の伯母一家。


この伯母夫婦は両親が結婚した時の仲人役をしていた。両親は父子家庭と母子家庭で費用を節約する為、結婚式の仲人役を伯母夫婦に頼んだのである。

和多志が強烈に覚えているのが、中学生の時祖父の遺品整理をしていて両親の結婚式の写真を見つけた伯母が「あんたらの親の仲人したけど、何にもお礼なかった」

それを離れたとこで聞いていた母は「西畑のおばあちゃんがちゃんとお礼はした」

母にとって伯母は小姑。為さぬ仲である。伯母一家より実の姉妹に心から手を合わせてもらいたいと思っているであろうと察する。


今回は恐らく初盆法要も参加できないだろう。身も蓋もない言い方だが、死んだ人より生きてる人、長男との事を優先にしたいし、法要に参列するだけが弔う事ではないだろう。


母は和多志が楽しく幸せに生きる事をきっと願っていてくれる。和多志も母があの世で楽しく過ごす事を祈っているから