産休中暇なので、妊娠を振り返ったり、出来事を綴ったりしようかなーと思った記録物です。
驚くほど眠れない😱!ここ3日くらい、夜になるとなぜか眠れず寝れたとしても2,3時間で起きちゃうググッたらお母さんになる練習だとからしい。そんなの産まれてからやるよー😩産まれたら自由に寝れないみたいだし今は寝ておきたいんだけどなーーー😩今日からしばらく旦那さんが長期休暇でわたしの実家にクルーーー!現在、出産の兆候ありませんが…笑旦那さんがいる間に産みたいところだ…赤さんに語りかけて念入りに打ち合わせしたい。
去年の夏私の父親が面白がって買ってきた「山椒の木」アゲハ蝶が好きな木らしく、図鑑でよく見た幼虫がたくさん来ていた。姪っ子は幼虫が好きでよく撫でたりして、(信じられない…)まだ当時2歳にも関わらず可愛がっていた。秋になってもう冬になってめちゃくちゃ雪が降って山椒の木にも雪が積もってついこないだ救出したものの、夏に集まってた幼虫たちはちゃんと生き延びれてるかねーと話していたら!いた!!玄関の隅っこに!!サナギーー!!姪っ子に説明してみたらまた触ろうとしてたけど今頑張ってるから触っちゃだめだと教えた。あの幼虫がサナギになることがさっぱり分かってない様子。現在3歳、そりゃそうだよな~無事に越冬して、春になって、第三形態を見せてあげたい。その前にできれば羽化する場面をみせてあげたいな。越冬したらお腹の赤さんも出てくるし春が待ち遠しいなあ。
あー、運動してないなー、こんなんでちゃんと産まれてくれるのかなー。さて、今日も暇なので振り返ろうかと。その日は突然やって来た。朝起きたら、吐き気がなくなっていた。そんなわけあるか、と思いつつ、用心しながら出勤。(13wに入ってからは吐きながら出勤していた。)昼、この頃主食にしていた通称「アンパンマンパン」(乳幼児がおやつに食べるみたいな小さいパン)を一人で食べる。・・・気持ち悪くない。吐く気配なし。おや?!退勤するとき、旦那さんに連絡をとってみると、ちょうど一緒に帰れるとのこと。帰りに今日は全くリバースしていないこと、リバースの気配すらないことを話す。そして、ある提案をした。「びっくりドンキーに行きませんか。」つわりの間中、ずっと肉の画像を見ては吐き気をもよおしていた私。肉を食べたい欲望は、リバースする辛さに勝っていた。旦那さんはちょっと反対したが、私があまりに自信満々に食えると言うのでその日の夕飯は“びくドン”に決定!私はハンバーグのワンプレートのやつを注文。めっちゃくちゃ美味しかった。大げさじゃなく、この世の食べ物の中で一番うまいと思った。「まずは4分の1くらいにしておきなよ。」と旦那さんに言われるも、結局全部たいらげた私であった。家に帰って寝るときも、吐き気はあらわれなかった。ああ、終わったんだ、と思った。あの残酷な日々が・・・!この日を一生忘れまい。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。旦那さんも、母親も、お義母さん(にも知らせた!笑)も喜んでくれた。翌日からもつわりはぶり返すことなく、本当にスッカリ驚くほど健康体になった。つわりの終わりは急にある日突然やってくると、ネットにいろんな人が書いていたが、全く信じてなかった。でも、全くのそれだった。そして、いつの間にか、つわりの辛さなんてスッカリ忘れた。実はあまり思い出せないのである。漠然と辛かった、としか思い出せない。人間の脳みそは、都合の悪いことはちゃんと忘れるようにできているんだなあと感心した。(びっくりドンキーのハンバーグの美味さは忘れていないけど)まだ残暑が続く頃ではあったが、私の元には食欲の秋が到来。落ちた体重5キロは、1週間で元どおりになった(脅威)。人間の欲望は制限されればされるだけ反動が大きいんだきっと。食欲はとどまるところを知らなかった。旦那さんは引いていたけど、つわり時期に比べたら食べてくれる方が安心すると言い、その言葉に甘えて、めちゃめちゃ食った。幸せでしかなかった。それから数週間後「胎動」ってやつを初体験した。旦那さんも、お腹に耳を当てた瞬間蹴られて、とても喜んでいた。何か生き物がお腹の中にいると言う現実が、どんどん本当みたいになって(すでに本当なのだが)、赤さんへの愛おしさがどんどん増していった時期だった。
今日は現状記録!今日から妊娠37週!妊娠10カ月目の中でもこの週からはちょっと意味を持つらしい。「正産期」といって、とりあえず赤ちゃんの身体はいろいろ外界で生きていく準備が整ったので、陣痛が来たら積極的に産みましょう、つまり、もういつ産まれてもええで期間(〜41週)らしいのだ。とはいえ、私のお腹はたまにチクリチクリ痛くなる程度。検診では子宮口はピッタリ閉じていて、赤さんもまだ下がってきていないような気がする。ここから産まれる様相になるのか、なんだか実感がない。運動をすれば赤さんは下に降りるらしいのだが、旦那さんにぜひ出産に立ち会ってもらいたいので、変に今急いで産む感じになるのもな〜、と運動をためらっているのである。まあ、私がためらおうともためらわずとも、中の人が「よし、そろそろ出るか!」と決めたら出てくるという具合らしいので、日々、予定日と残日数をお腹に向けて言い聞かせて中の人に調整をお願いしている。ちょっと前まで、出産時のエピソードをネットで読み漁っていたのだけど、もうとにかく十人十色だということが分かったので、もう読むのをやめた。私お得意の、成り行きに身をまかせる方針でいく予定だ。なんとかなる。とにかくゴールは赤さんをお腹から出すことなのだから、分かりやすいではないか!とりあえず覚悟っぽいものはできている気がする。いよいよか〜!!最近「いよいよ」という言葉をよく言ったりかけられることが多くなった。次に「いよいよ来たか・・・!」と言うのは、陣痛が来た時?破水した時?はたまた、何事もなく予定日に旦那さんがすることもなくやって来ちゃった時??なんだか、待ちきれなくてそわそわする毎日だけど、とにかく、いつも以上に赤さんに会うのが楽しみになってきた、そんな臨月です。
雪が終わったと思ったのに、また積もりはじめた。。外に出られないから退屈だ~(´・_・`)さて、また振り返る!辛い時期でボリュームがすごいことになった。ついに旦那さんの家に荷物を運び込み、念願の新婚生活をスタートさせた!毎日嫌でも会える!2年間同棲したくてたまらなかったこの思いが~やっと~果たされるのだ~!という有頂天の思いとは裏腹に、わたしはぐっっったりしていた。人生で最も思い出したくないのに忘れられない時期ナンバーワンに輝く、この時期。つわり絶頂期である。(ちなみにナンバーツーは宅浪時代。)運び込んだ引越しの荷物は、すべて旦那さんが封をあけ、生活できるよう整えてくれた。うまいこと平日も休みを取ってくれた旦那さま、ああ、旦那さまありがとう。。わたしは気持ち悪くてずーっとひんやりした床に寝転がっていた。食欲がないのに、お腹にはへその緒で繋がれた生命体がいるらしいので、何かを食べなきゃいけないという強迫観念があった。しかし…食べたらリバース!食べなくても、吐くものなんてなくてもリバース!そんな日々を過ごして、リバース耐性がついたわたし。何かしら吐きやすいものを口にすることを覚えた。1秒でも多く栄養を吸い取れ、私の胃!という感じで、ゼスプリのゴールドキウイか、そうめん、つわりキャンディというやつをなんとか口にしてはリバースしていた。こんな状態で仕事に行けるわけもなく、初日にかろうじて挨拶に行ってからというもの、それからおよそ1ヵ月休むことになった。うちの班に誰か異動してきたんじゃなかった?あれ?その子今何してるの?名前なんだっけ?みたいな状態だったというのは後日先輩から聞いた話。笑うれしいことに?異動先の上司は適当人間だった。辛かったらいつまででも休みなさい。有給たくさんあるんでしょ?的な感じ。いい意味で不干渉。仕事は悪!の当時のわたしにとっては最高だった。家でひたすら吐いて寝た。とはいえわたしは念願の新婚生活を手にしたのだ。仕事を休むこの時期だけでも、スーパーに行って疲れて帰ってくる旦那さんに、愛情たっぷり晩ご飯を作ろうではないか!そう思い立ち、吐き気と戦いながらスーパーに行ったら、貧血で目の前が真っ暗になり、お会計レジのところで倒れた。笑 スーパーの店員さんと姉御肌の奥様が事務所で介抱してくれて、30分ほど横になりながらその奥様とつわり談議に花を咲かせたりした。経験者とはじめて話ができて、途中からうれしくて泣いた。奥様は笑っていた。いつか絶対終わるから頑張れと励ましてくれた。それ以降、休みの間は家でまじで何もしなかった。体重は5キロ減った。毎日「つわり いつまで」を検索し、2ちゃんねる掲示板の「つわりと戦うスレッド」を10分おきに見た。おなじ境遇の人を眺めて涙を流しながら過ごした。当時は胎動なんてなく、お腹も大きくなかったので、トツキトオカやninaruというアプリの日々更新される赤ちゃんの様子という部分を穴が開くほど読み、今は胎盤が作られているらしいとか、呼吸器官を作り始めたらしいとか、そんな情報だけを頼りに、2ミリちゃんが頑張ってるんだ、と想像することでしか耐えられなかった。旦那さんは大抵23時頃に帰宅し、それから私のために素麺を茹でたり、キウイを剥いてくれたりした。たまにそれすらも食べられないときには、辛そうな私を見ながら「何も出来なくてごめんな…」と一緒に涙を流してくれた。笑普段から、最低1行は日記を書いていたわたしだが、この頃は白紙。書く気力がなかったのだろう。しかし、唯一「つわり最高の緩和アイテムは、夫の愛」と書きなぐってあった。笑 今読み返すと笑える。一緒に泣いてくれたやさしき旦那さんに感謝である。
妊娠期間振り返りーやけにヒマなので長文になってしまうな誰が興味あんねんて感じですみません!妊娠が判明して1週間後、無事に心拍が確認できてほっとしたのと同時に、医者から仕事のことをたずねられる。「妊娠中は、妊娠前の半分の処理能力しかない、くらいに思っておいた方がええで。悔しいこともあるかもしれへんけど、あんたはそれよりも先に、赤ちゃんにゆっくりさせてあげる仕事があるんやからな。」的なことを言われた。それを聞いて、旦那さんにも相談した上で、ひとまず上司に妊娠のことを話すことにした。わりと意を決して打ち明けたのにも関わらず、おめでとうと乾いた言葉をかけられてすぐ、これからのことを話された。あんまり好きじゃない上司だったけど、やっぱ好きになれねーと思った。笑今抱えている仕事は別の人にやってもらうことになった。そして実は、わたしの東京異動の話もあったので、それは上司の方で東京と話しておく、というような対策になった。仕事は一生懸命やりたかったが、正直この時は、どうでもよかった。自分じゃなくてもこの仕事は誰だってできると思っていたし、せっかくわたしのお腹に現れたこの生命体を、激務仕事なんかでなくしてたまるかという感じだった。もうなんでもいいから休ませてくれ、解雇されてもいいから東京で旦那さんと平和に暮らさせてくれ、と思った。この頃の私にとっては仕事は完全に悪。上司が好きになれなかった上に、自分の身体を守る口実ができちゃったから、仕事が嫌で嫌でしょうがなかった。ちょっと過剰に仕事から距離をおきたかった。たったの2ミリしかなくとも、わが子!この人はわたしが守る!ストレスも睡眠不足も栄養不足もありえないぜ!みたいな感じだった。今思えばなんだかテンパってたのかもしれない。私が妊娠したことを知って、上司もまわりの人も、わたしをどう扱っていいか分からない様子だった。まだ安定期に入っていないこともあり、妊娠のことは口には出さないけど、私に圧倒的に気を遣っている。ありがたいことだが。というのも、わたしには「つわり」という現象がはじまっており、ちょっとずつぐったりとしていたせいもあったと思う。その時は、においつわりだった。香水とか、制汗剤の匂い、コンビニの匂いもなぜか無理だった。家に帰ってもやっぱり部屋の匂いが気になるし、身体がいつも熱があるみたいにだるくて家ではほぼ寝ていた。そんな中、わたしの東京異動の話が正式に決まる。こんな状態で行っても仕方ねーと思いつつ、旦那さんと暮らせる喜びの方が大きかったので、うれしかった。と同時に、引越しのことを考える。無理だ。日に日に吐く回数が増え、ぐったりする私に、荷物をまとめることなんてできるのか。。…できなかった。笑引越しの箱詰めは結局0個のまま、引越し当日を迎えた。実家からは両親が、東京から旦那さんが早朝駆けつけ、ゼロから頑張ってくれた。わたしは部屋の隅っこでホコリにまみれながら寝ていた。みなさんありがとう…このご恩は一生忘れません…そう思いながら、わたしの大阪生活は幕を閉じた。
暇なので、妊娠期間を振り返る。超普通の妊娠記録なので、稀有な体験を期待している人は回れ右~。入籍した途端に、旦那さんが異動した悲しき我々夫婦。大阪ー東京間の遠距離結婚(いうなれば単身赴任)が続いていた。新婚とはいえわたしは立派な社畜。大阪の勤務でも、月に何度も言われるがまま東京に出張していた。かろうじて宿泊が旦那さんの家だったから、つかの間の新婚生活がすごせたりした。そんな中、ふと家族計画について話す。仕事のストレスで生理が遅れることはしょっちゅうで、旦那さんもそれは知っていた。たとえ苦労することになっても赤さん欲しいね、なんて話していた。妊娠なんてなかなかできないと思っていたわたしは、これからのためにまずAmazonで基礎体温計をポチッた。大阪に戻って、この遠距離結婚中に自分の生理周期を把握しようではないか。そう考えたのである。朝起きたらすぐ、基礎体温計をくわえる。それをアプリに転送記録する(今はこんなことができるのだ!)これを、続け………ることができなかった…!!!!朝は仕事に行くためにドタバタするもんである。言い訳に過ぎないが…すっかり忘れて日々せかせか過ごした。そしてある日、生理がまた遅れていることに気付く。1ヶ月後に本番を控え、わりとでかめの仕事を準備していたため、仕方ないぜと思っていたが、、実はこれが妊娠だったのである。思い当たる節はたった1度。本当にラッキーだったんだと思う。基礎体温も測れない女の元にやってきてくれた。。神様ありがとうの極みだ。。今思えば不思議現象はいくつかあった。・部屋の臭さがやけに気になり、1週間でファブリーズを1本使い切った(潔癖ではない)・生理前のダウナーな時期がなく、やけにポジティブハイテンションだった・頻尿(飲んで帰った日は異常な回数だった)・体のほてり。常に暑かった。そんな生理が遅れていた矢先、また東京出張があったので、1度使ってみたかった妊娠検査薬ってやつを旦那さんにやるぜ!と宣言して使ってみた流れなのであった。何もないと思っていたのに、本当にマジで線がくっきりでたので焦った。でもうれしかった。旦那さんは、え!うそ!どうしよう!マジか!と言っていた。こういうとき、旦那さんはうれしい!とは言わないんだな、と思った記憶がある。笑翌日、仕事の合間に職場から最寄りの産婦人科へ行き、女医さんには「お豆が見えるね~」と言われ、妊娠が確定した。ここから流産することも多いから、まだ喜ぶのははやいわよ、と説明されて、ちょっと不安になった。東京出張中の出来事だったが、その後どんな仕事をしたか覚えてない。なんかフワフワしていた。その日中に大阪に戻ったが、身体を大切にしなきゃと思い、グリーンで帰った(笑)その時のわが子の大きさは2ミリ!た、たったの、2ミリ!!!!?それでも人間の源というから驚く。なんとなく2ミリちゃんと呼ぶことにした。
里帰り産休中でとっても暇なわたし。仕事は結構していた方なので、産休に入ってからは、家事を(あくまで自分なりに)完璧にこなしていたのだが、実家に帰った途端マジヒマになってしまった。食事も親が作ってくれるし、(たまに昼飯はわたしが作るけど)掃除も洗濯も、わたしが目覚めた時には終わっている(!)まぁ、昼まで寝ているわたしもどうかと思うけど。こんな風に、高校以来の最高の環境なのではあるが、人間って何かしら義務的にしなきゃいけないことがないと、こんなにも退屈なんだなと、体感中なのだ。わたしがいま義務的にやらなきゃいけないことは、圧倒的に健康に暮らすことと、ちょっとの運動と、赤さんを迎える準備と、まだ産まない、ってことだと思う。しかし、母が献立を考えてくれてるのでそこそこ健康だし、赤さんを迎える、モノの準備はなんとなくできている。こんなことでもない限り絶対やらねー裁縫とかもやってるし。あと、子宮口もピッタリと閉じているらしいので、まだ産まれなさそう。問題は、外が大雪だということだ。37年ぶりの記録的な大雪らしい。おかげで「ちょっとの運動」というのができない。車も出せないし、母の買い物についていくこともできない。福井出身とはいえ、めっきり雪と接することなく10年ほど過ごしてきたので、この非現実的な雪まつりには積極的に参加(雪にダイブしたり)したいのに。というわけで、マジヒマなのである。このマジヒマな時間を使って、ブログを書いてみようと思う。提案してくれた友に感謝である。せっかくなので、これまでの非日常的な妊娠生活を振り返ったりしつつ、いまをちょっと記録していきたい。(飽きるまで)