光陰矢の如し‥‥
気付くと、前回のブログ更新から一年以上が経過しておりました…
再びお越しくださった方、初めてアクセスくださった方…
私の気まぐれブログにお立ち寄りくださり、本当にありがとうございます✨✨
気付けば2022年もあと3ヶ月+数週間!
皆さんの2022年、調子はいかがですか?
時は矢が飛んでいくように速い!
平安時代の古今和歌集に、このような事を意味した
「梓弓 春たちしより 年月の いるがごとくも 思ほゆるかな」という歌がおさめられているそうです。
時のスピードが速く感じるのは、忙しい世の中に生きる現代社会ならではの観念ではなく
時代や国、環境を問わず、昔から人々が感じることなんですね。
英語では「Time flies/時は飛ぶ」
とってもシンプル。
ドイツ語ではというと、
「Die Zeit vergeht wie im Flug/ 時は飛行機のように過ぎていく」
飛行機が登場し、少し近代的
時の速さを感じる時といえば、
スーパーで年末お掃除グッズを目にする頃や、子どもの卒業式…
そして、ため息をつきながら(?)、指折りカウントダウンが始まり
人生の数字が変更する、お誕生日。
子どもの頃はワクワクしながら、その日を心待ちにしていたものの、
大人になるにつれ、ピュアな高揚感が薄れていくのはどうしてなのか。。
そんなことを感じながら、今年の夏、私は誕生日を迎えたのですが
先日、ふと感じさせられることがありました。
仕事でお客様の個人データを確認する際、いつものように目を通していると
とあるアフガニスタン出身の男性の誕生日記入欄に目が留まりました。
「1958年0月0日」
な、なんだこれは ?!
本来、10月10日だけど、1を書き忘れているのか
6月6日で、6の先っぽが短すぎるため0月0日に見えるのか…
判断に苦しんだので、これは何やと彼に聞いたところ、
彼は、ニコっと微笑んだあと、
ボールペンを再び手に取って、0の上から太く大きな「1」という数字で
0をゴシゴシと書き潰しました。
0を消して「1月1日」に変えたのです
いやいや、誕生日はそんな簡単に変えれるもんやないやろ
と心の中でツッコミながら、この行為に対して訊ねるべきか迷いましたが、
彼はドヤ顔で満足そうにしておられたので、ひとまずそのデータをお預かりすることにしました。
その後、同僚にこのことを伝えると、
「そうそう、国によっては自分がいつ生まれたのかわからない人も多いのよー。」
そういわれてみると確かに…。
日本では子どもが誕生するとお役所にいって登録するという制度が昔からありますが、
50年、60年前を振り返り、世界中どの国もに同様の行政システムがあったのかというと、そうではありません。
ということは、
誕生日が近づくたび苛まれる「年齢」というものは、あくまでこの社会で生きるがゆえに
意識づけられた概念なのではないか…
義務教育の環境に身を置く間は、常日頃から、学年という括りに縛られますが、
一度その環境を出てしまうと、もう学年を示す名札をつけることはありません。
ひとりひとり、肌年齢や骨密度年齢、精神年齢が違い、
ひとりひとり、今世で与えられた任務を全うする期間は違います。
10歳でも仙人のように悟り、人生を語る子どももいれば、
何十年と生きていても、駄々をこねて周りを困らせる大人もいます。
そんなことを思うと、歳なんて生きていく上で実際のところ
さほど必要ないんじゃないかと思うのです。
もちろん、誕生日が存在することにより、
改めて、この日を無事迎えられた喜びや感謝を感じることができます。
でも一方で、そんなかけがえのない日に、また一つ歳をとってしまったと
憂鬱になるのはとっても悲しいこと
ということで、私は歳にこだわるのを辞めてみることにしました!
過去に想いを馳せることなく、未来を思い悩むことなく。
今この瞬間を生きている今の私が一番ピチピチ!
☆☆☆☆☆☆今日のドイツ語☆☆☆☆☆☆
「時」にまつわるフレーズ
Die Zeit verfliegt.=光陰矢の如し
Zeit ist Geld.=時は金なり
Die Zeit heilt alle Wunden.=時は全ての傷を癒す。