アブラクサスの瞳 -2ページ目

アブラクサスの瞳

光あれば影がある。

だけど、それは大事な私の一部。

遠い昔に、些細なことが発端で、死んでしまおうと思ったことがある。
小学一年生の頃のこと。マンションの階段の踊り場で、泣いて泣いて泣いて。あそこに手を駆け足を掛け、そこに立って、飛び降りるんだと想像した。痛いだろうな、この高さで死ねるだろうか、と思いながら、辛くて泣いていた時に。ふと目に入った夕日が美しくて、見惚れた。

我に返って、飛び降りれない自分に、また辛くなり泣いていた頃。階下の住人のおばちゃんが、私の泣き止まない声を聞いて出てきてくれて。彼女のなだめと取りなしによって、うちに帰ることとなった。

 ー ー ー ― ー ー ー ― ー

発端は本当に些細なことで。(家に帰ったら、鍵が閉まっていて、棄てられたと思った。)家族の誰も、きっとこのドラマを知らない。というか、こんなデキゴトがあったことが、申し訳ない気持ちすらある。なぜ私に、こんな心の傾向があったのか。私自身知りたい程で。悲観的なビリーフを、27年程持て余してきた。頭ではこれが終わったことだと、わかっているけれど。何か不安定になった時に思い出しては、だからやっぱりそうなんだと、ネガティブな裏付けのように機能してきた。そんなエピソードはいくつかあって。まるで、ネガティブな自己を強化してしまう地雷のようだ。

例えば、明るい自己啓発系セミナーなどに参加した折に、幼児期の強い感情的体験を思い起こしてみて下さいと言われて、何の気なしに出てくるのが、こういう重苦しくネガティブで、隠しておきたい、そっとしておきたい、披露したくない、ものだったりする。思い起こした瞬間に、私はネガなビリーフに引きずり込まれかけていて、その緊張を表すまいと、必死になる。このエピソードはあまりに痛いから、何か別に披露できるエピソードはないかと、急いで思い巡らす。
次点で出てきたものも、迷子→死んじゃおうネタ。その次も、鳩が死んだとか。空虚に天井を見つめていたとか。当然のようにネガなものばかり浮かんでくることに、またもや私ってなんて不幸だったんだと、思いそうになる。これまた必死で否定。場を信頼してネガを披露するのも手だけども、1対1ならいざ知らず。(グループでシェアしあう、というものだった。)顔が見える少人数グループで、いきなり泣きたい訳でも、不幸感をまき散らしたい訳でも、なんでもない。ただ私は前進したいと思ってやってきた訳で、お他人様にネガティブなビリーフを披露して、我が身を憐れむなんて、まっぴらだった。

どうにか、これなら披露できるというエピソードを掘り当ててシェアできて、ホッとした。だけれど、どうも一連の緊張感がにじみ出たようで、鋭い感想も出てギクッとした。

 ー ー ー ― ー ー ー ― ー

何とも云えない、緊張感。不快感。だけどそれはその場の、誰かが悪い訳ではない。ネガティブで悲観的で強力なエピソードを持ってしまった、自分が悪い訳でもない。そんな私を育てた環境や親が悪い訳でもない。(実際のところ、そう悲劇的にならなければならないような、トラウマのようなデキゴトは、強いて云えば出生後、母と引き離されている時期があったくらいで、イマドキ、そうそう特別なものでもないはず。)じゃあ、何だ?何で私は、いちいち、こうして。何かがあって、そこを刺激されるたびに、多少なりと思い出して、毎度のように苦しむのだろう?そのことを知っているのに、どうして避け得ないのだろう。まんまと、不安定に引きずり込まれるのだろう。

こうした心理的不安全感が、何かにつけ、顔を出して。私のスムーズな思考を、行動を、阻害する。こうしたものが起動していると、視点や思考はどうしても通常の平衡感覚から、偏執的歪曲を持つ。同じ時間の流れを生きても、大幅なロスを抱えていることになる。そう、ハンディ。表向きは普通の何ら問題ない人に見えるから、余計に苦悶する。どうしたら、これを手放せるだろう?いやそもそも、ネガを捨てる必要も、否定する必要もない。もともと、それは私自身の一部なのだから。

むしろ、こういうべきだろう。どうしたら、昇華できるだろう?どうしたら、なりたい私自身を勇気づけるような、ポジティブに強化する過去になるだろうか?

 ー ー ー ― ー ー ー ― ー

実際、こうした事についての解決方法として、例えばいくらかのヒーリングやカウンセリングセッションが上げられる。とりわけ、以前興味があって齧ってもみたスリーインワンは、キネシオロジーを利用した感情解放の手法で、何度かセッションを受けたけれど、確かに強力に作用する。
だけれど正直なところ、今の私としては誰かにしてもらうのではなく、自分自身で書き換えたい、そうでなければ意味がないと思った。(まあ、それが、私が上記手法を齧った理由だけども、金銭的な理由が大きく、無期中断中。)

対症療法を受けるのと、根本治療を施すことの違いだろうか。自分が意図的に変えられると、根底から実感しなければ、エピソードの3つや4つを片付けたところで、また別のネガティブなものが浮かび上がってくれば、結局何度でも引きずり戻されるのだから。(だから、何度か受けたけれど、また別の問題に直面してお手上げになる。)

自己ケアできる手法であることが、もういい加減、必要なのだ。

そうした手法のアイデアについては、いくつか心当たりがあった。といっても、日常を介していつの間にか自分の記憶野に紛れ込んでいる情報なので、いくつと云えないけれど。スリーインワンのセッションで受けた解放技法もヒントになったし。それから、たぶん時期的に直接的刺激になったものとしては、よく読んでいた"Qさん"のブログかもしれない。どの記事と、もう云えないけども。 

やってみたのは、ストーリーを別の文脈で書き換えてみるという試み。これは、なかなか価値ある試みになったと思う。こっ恥ずかしいけども。これはそういうブログなので、書いてしまう。

 ー ー ー ― ー ー ー ― ー

私は美しい夕日に見惚れたひと時、そこに生命の輝きを観て、憂いを忘れたのだ。脳内ストーリーに基づきリアクトした感情を超え、自分自身のただの視点に立ち戻って、永遠の美と根源に触れたのだ。だから私は、一時なりと死を忘れた。その一時後、吾に返ってしまって"躊躇"と解釈して恥じたけれど、これらは全て採用中の悲劇的ストーリーに基づく文脈的感情リアクトだった。

悲観的な現実のお話、は自我が手に持ったページに書かれたストーリーであり、その(自分で書いた)劇的な筋書きを夢中追っていた本来の私自身は、ふと目を上げて美しい夕日を見た。私は幸運にも、作り物のストーリーを追う現実を、つかの間離れて一つの魂として永遠に触れたのだと思う。

本当のところ、その永遠の美を、吾に返っても持ち続けることができていた。だからこそ、悲しみのあまり覗き込んでいた死の淵から、生還し、今も生きている。
そこで私に生命を与えたものは、親や遺伝子や現世の仕業ではなくて、宇宙にある根源的な生命力であり、普遍的な美であり、感動だった。
私は、その一瞬、夕日の美しさを賞賛し、歓喜に振るえる魂だっだ。

これは、幼い私が、吾知らず通過し、理解が及ばないために、直後に元の状態に戻ってしまった、(しかしもしかして実は、通常多くの人を頻繁に訪れているかもしれない)悟りの瞬間だったのだと思う。


だから。この新しい解釈がうまく機能したとすれば。もうこれは、我が身を哀れむストーリーではない。
ヘッセのデミアンからの一節。

「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアブラクサスという。」

本当のところを言うと、デミアンをまだ読んでいないのだけれども。この一節だけでも、物語られる本質が、心に迫るものがある。

変化を欲するなら、古いものと決別すべし、ということ。それは、いままで当然としてあった世界に、意図を持って切り込むこと。でなければ、いつまでも、飛び立つ事は叶わない。

成長の段階に於いて、望ましくあろうと思うあまり、安穏な側面に目を向けてきたものだ。受け入れ難い側面に寛容であろうと努めた末に、やがて問題が深い心の奥底に沈降して、容易に正しがたいゆがみを生み出すまで。

感傷と、事実が違う事を。そろそろ受け入れても良い頃だと、やっと思えるようになった。それは、誰かを傷つけるための認識ではなくて、自分が人格を持った一人の人間として、強く生きるために必要な尺度なのだ。望む場所へ到達するために。

私の影を、ここに映してみることにした。最短距離で飛び立つために。今まで私を守ってきたものたちへの感謝と、昇華を。忘れないために。こっそり、ひっそりと。