どーも、トモコサンです
そしてまたリブログで書いてます。
このMayumiさんの記事の中でも「自分で実践する」とか「言葉にする」とか書いてあったので、やっぱりこれも書いておいたほうがいいかな、と思いまして。
ここ数日、YouTubeの動画が撮れないでいました。
単に気分じゃないからということも今までにあったのですが、今回はそれより、登録者数が増えてきたのと聖書を紹介されたタイミングが一致していて、ちょっと考えないわけにはいかなかったのですよね。
まだ聖書を手にして数日のとき、お風呂の中でお祈りをしました。
「わたしが純粋な媒体としてメッセージを伝えられますように」と願いました。
多くの人に知れ渡るほど、自分が望むか望まないかには関わらず、影響が大きくなるんじゃないか、そう思うと、自分がミスリードしてしまわないかと不安になりました。
それを助けてもらえるようにとお祈りをしました。
そしてそれから聖書をパラパラと読んでいて、「偶像」という言葉に行き当たりました。
そこから、また疑念が生まれてしまったのです。
偶像というのはどれを指しているんだろう?
例えば、ウォーキングの時に寄っているお寺で手を合わせるのは、偶像を拝んでいることになるんだろうか?
それは間違った信仰なのだろうか?
そういえば数年前にドリーンバーチューさんが回心して、アセンデッドマスターのカードを廃止すると言っていたけど、それもこの偶像と関係があるんだろうか。
わたしは今まで、彼女が回心したことも、それを機にカードを改定(廃止)していることも知っていたけど、それをあまり気にせずに使っていた。
そしてずっと彼女のカードばかりを買っていたけど、最近は他のオラクルカードを買ったりタロットカードに興味を持ったりしていた。
だけど、その彼女がやめたことには大きな理由があるはずだ、ということはなんとなくわかっていた。
わたしはどうするべきなんだろう・・・
そしたら、すごいタイミングでMayumiさんがドリーンバーチューさんの動画を紹介してくれました
そしてその中に、わたしが持っていた疑念の答えをくれていました。
さすが、天の使いです。
そして結論としては、ドリーンバーチューさんも言っているように、どうすべきかは、わたし自身が対話をして答えを得るのだと思います。
今のところわたしも、カードリーディングをしてはいけない、とは言われていないと感じています。
今までも、自分はメッセージを伝えているだけで、予言ができるとも思っていなかったし、何かが見えているわけでもなかったので、カードから感じることを言葉にしていただけだったんだけど、もっとこれからは深いところから真実のメッセージを伝えることができればいいな、と思っています。
聖書を読むというのは、これから大きな課題というか、時間のかかることだと思っているので、すぐに理解したりすることはできないかもしれないけど、向き合い方というか、本当に大事なものとつながるということが少しわかった気がするので、それを頼りに進んで行こうとは思っています。
わたし自身は、何かを「見た」ことはなくて、ただなんとなくヴィジョンとして見える、存在がわかる、という感じでした。
直感や感覚が鋭いほうだということはなんとなく自覚していたので、同時にそのことが傷ついたり傷つけたり、場合によっては凶器にならないかとか、利用されるんじゃないかとか、いろいろ思っていました。
過去にはそうやって近づいてくる人がいて、腕を引っ張られる程度のことは何度かありましたが、とりあえず疑い深いし臆病なので、途中でいつも逃げて、深入りしないで済んでいました。
いや、それも含めて守られていたのでしょうね。それも自覚があります。
「豊かになるために魔術を教える」と言ってきた人に、「そのままでは成功しないわよ」と呪いの言葉をかけられたことがあったけど、やっぱり逃げて良かったと今でも思います。
本当に正しい道であれば守られる。
そう信じれるのだな、という感覚が今はあります。
まだまだ、道が見つかったというより扉の存在に気づいた、くらいの状態ですが、ここからも自分で実践をしていきながら、自分の指針を得ていきたいな、と思っています。
Mayumiさん、いつも絶妙なタイミングでお知らせをありがとうございます