どうやら俺は、ココの日記を一週間ごとに開くらしい、という些細な自分の発見。。
対人援助職、っていう専門職になるのは大変なんだなー、とつくづく感じる。
俺が、ここに書いてあるような内容をなぜ、他人に話そうとはしないのか。
それは、「他人」に大きな揺さぶりをかけてしまうから、ということに尽きる。
先日、ボランティアに行ってた精神科病院のスタッフ(看護師と臨床心理士)の方々と飲み会があって、自分の話をした。
看護師のおばちゃん(Uさん、ごめんなさい)とおねーさん(別のUさん、やせてください)が泣いてくれた。
「病院を支えるのはナースだ」。アノ病院が成り立つ理由の一つがわかる気がする。
心理の言葉で言えば、「共感 empathy」は援助に絶対必要不可欠なもので、
また、それがあるからこそ、他人のことを自分のことのように感じて気分自身も傷つきを受ける。
そういうのを、あまり著名な概念ではないけれど、最近確実に注目されているもので、
「二次的外傷性ストレス Secondory Traumatic Stress」という。
学問的な研究分野としてはココは本当に若い。
精神科の医師やスタッフや臨床心理士、虐待やDVの援助者、あるいは犯罪被害の電話相談ボランティア、
そういう「心のケア」に関わる人間の受ける傷つきは、いままでほとんど考えられてきていない。
いや、さかのぼるなら100年前のフロイトからして、二次的な影響(精神分析的に言えば外傷性の逆転移)を受けていた。
そんな時代から政治と世論と自分の間で揺れていた人間がいたけれど、本格的に注目されたのは現代なんだ。
そういう意味で、今からこの領域は「医者の不養生」的な部分に目を向け、「一歩踏み出した」状態だとおもう。
そんなわけで、俺の個人的な内容はあまりにも「学部」という未熟な人も多い集団には「重い」。
受け止め切れない人には、「なんでオマエには分からないんだ!」と言ってしまいそうになる。
『だってそうだろ!おまえの娘が目の前でレイプされて
泣きながらやっとのことで訴えてきてもおまえはそんな風に平然と構えてられるのか?』
ってな。
これ、かなりオカドチガイな考えだってこともメタしちゃいるけれど、
自然にそう考えちゃうんだよね。ま、実際には言ったことないけど。
また、受け止めてくれる人にもあまり負担はかけられないことが多いのも理由としてある。
なんせ、この道はだいたい、みんなそれぞれ何かしら個人的な「その気(け)」を抱えてきている連中ばかりだから。
ただ、それをすぐに「病んでる」とか「神経症的で」と言うのは間違っていると思う。
それぞれ、そういう「その気」があるからこそ、この険しい道を進む力と覚悟とが出来上がっているんだと感じる。
ま、自分の事を少しだけ肯定的に捉えてみて、言いたいのかもしれない。
