最近、何かにつけて
思い浮かんでいたことがあります。

昔の時代はきっと
数年先の自分
数年前の自分が
もっと身近にいたんだろうなって。


そんなことを思っていたら
先日、録画をしておいた
プロフェッショナル 仕事の流儀
を見ていて、とても印象的な場面があって。


今日はそのことを書きたいと思います。
 

 

 

プロフェッショナル仕事の流儀を
見ていて印象的だった、というのはですね、

その日の内容は
認知症ケアのプロフェッショナルの
特集だったのですけど

その中で
「おとなりさん」
という施設の紹介があったんですね。




その「おとなりさん」は
認知症のお年寄りのデイケア?を
されているんですけど

そのケアの現場のすぐ隣に
一般の人が食事のできるレストランが
あるんですよ。



そこには間仕切りがなくて
とってもオープンで

顔を上げればすぐそこで
お年寄りと介護士さんたちの
生の姿が見れるという……。



レストランには
遠くから来る人もいて、
二階にはカフェがあって
近所の人も気軽に使っていて

子どもたちも集まって
お年寄りと笑いあっている。



そういう様子を見ていて

なんだかそういう
世代が隙間なく関わり合っている
そんな姿が

本来の人間の営みなんじゃないかと
そんな風に思ったのです。



現代社会では
核家族化が進み、

祖父母世代とは離れて暮らし、
家庭の中には親と子の世代のみ。


そして近所付き合いも
どんどん影を潜めていき

子ども繋がりで
ほぼ同世代の付き合いはあっても
それ以上は広がらない。


親戚一同集まったって
ひと昔前と比べて
格段に兄弟の数が少ないから

結局、それぞれの世代の間を
埋めるような歳の子がいなかったりする。



きっと昔は

子どもの自分がいたとして

お兄ちゃんお姉ちゃんがいて

その上に隣近所の
お兄さんお姉さんがいて

そのお兄さんお姉さんたちに
子どもが産まれれば

子どもの自分の下に
赤ちゃんの世代が出来ることになる。


お兄さんお姉さんの上には

自分のお父さんお母さん世代がいて

そのお父さんお母さん世代の
お兄ちゃんお姉ちゃんがいて、

その上には
お父さんお母さん世代の
お兄さんお姉さんがいて、

そして
お父さんお母さん世代の
お父さんお母さん(祖父母)がいて……


隣近所を合わせれば
ほんの数歳違いの間隔で
全部の世代が揃うことになる。


そうなれば自然に
数年先の自分
数年前の自分が
リアルに目の前にいることになる。




そのリアルさって
かけがえのないものだと思うんですよね。


「おとなりさん」という施設の
コンセプトとして

介護を受けるお年寄りの
リアルな姿を身近に感じてもらう
ということがあるようなんですが

想像とか
ニュースなどのテレビの世界ではなく

五感で感じ取れる距離で接する
ということが

訳も分からず忌避するとか
何とはなしに不安を感じるとか

そういう
知らないからこそ発する感情
払拭するのに役立つのだと思います。



「いつかそうなるかも」ではなくて

「当たり前にそこにある」



数年先の自分
数年前の自分

数十年先の自分
数十年前の自分

当たり前のように連なっている
命のつながりを身体で感じることは

そこで起こり得る悲喜こもごもを
自分に引き寄せて考えることができ、


自らを励ますことも
癒すこともでき

そして
手を差し伸べることも
差し伸べられることも
あるんだろうなと思うんです。



血のつながりを超えた
そういうあったかいつながりを
多くの場所で持てるなら

家庭で起きる虐待や暴力や
心が追い詰められた末の自殺や
老人の孤独死などなど

いろんな問題が
軽減するんじゃないかなーなんて

そんなことをぼんやり思います。



だから
「おとなりさん」の在り方って
すごくいいなーと感じました。

ご興味のある方はこちらをご参照くださいねニコニコ

株式会社あおいけあ
「おとなりさん」の紹介ページ