つい先日、
あーしあわせだーと声に出したのは、お風呂場だった。
湯船につかった瞬間、声がこぼれた、ん?感情がこぼれた、か。
その日は、久々にとても寒くて。
暖かい湯船が、本当に気持ちよくて。
一緒に入っていた娘と、ほっこり。
そして、しあわせだーと感じたら、
夫にも感謝が込み上げてきた。
そして、暖かいお風呂も、お布団も、ご飯もお菓子も、ジュースも、パパが働いてくれてるから、私たちは、こうやって、しあわせだーってなれてるんよねーと、娘に話した。
すると娘は。
ちがうで!パパだけじゃなくて、ママがご飯作ってくれたりしてるからも、あるんやで。と。
そうだね、そうだった!
私も、少なからず、してた🤣
お金に目がいって、忘れるとこだったわ!
生活費を稼いできてくれるのは夫。
私は、その分、家事を、、、し、、、してる。
間違いなく!してる!
じゃ、娘は?みたいな空気になり。
娘、自分から言い出す。
私は、お風呂に湯ためたりしてる、、、と🤣
それだけやないかーい!🤣
→娘自身もそれだけ、だとゆう認識してるらしい🤣
まあいい、それはそれで良い。
それでも、なんとなく、ここ一年くらいは、湯貯めるのは娘の係みたいになってる。
今、現時点では、我が家の場合
夫→お金を稼ぐ
私→家事、事務仕事
娘→手伝い
だが、このバランスは、状況によって変わる可能性も今後ある。
私の望みは、私も稼ぐ、を目標に。
バランスは変われど、
寒い日に、あったかい湯船につかれる。
最高だ。
バランスはどうあれ、
ここは、死守したい。
そして、昔は、そういえば、私は大人から
世界にはご飯も食べれない人がいてな、だから、あんたは、目の前にご飯があるんやから幸せだ、とか、残したらあかん、とか。
言われたなぁと思い出した。
私は、そうゆう表現が嫌いだった。
どこの誰かも知らない人が、ものすごく貧困で、だから私が、無駄にしちゃいけないとか、そことなぜ比べるんだ?と思ってた。
まぁ言いたい事はわかるけど。
なんか違和感。
私は良くも悪くも、思ってない事を言うのは苦手。
おせじも、苦手。
自分でも引くほど苦手。
(でも、泣きたい時に笑う、笑いたくないのに笑うは得意→これは、しないように練習中)
これは、娘にも対してもで。
なので、私が違和感ある事は、やはり言わない。
今回、そのフレーズが頭に浮かんだが、流した。
何かと比べる時代は、そろそろ変わってきたんじゃなかろうか。
時代とか語れるほど勉強してない私が言うのも、なんか違う気するけども😁
そんなわたしは、未だに、誰かと自分を比べたくなったりもするけど、その都度、
ほれ、また、やってますでっと自分に言い、自分みつめの材料に😁
あぁ、また自分以外を見てるわと気づいたら、なんか私の根っこが、ざわざわしてるんだろーなー、くらいに意識して。
とりあえず、今日も寒い。
暖かいお風呂に入って、ほっこりしよう。