今日は、友人が、私と母に会いに来てくれた✨

帰宅後、友は、知ちゃん、お母さんへの口調にトゲあるよね、と。

私を責めて言ってるんじゃないよ。
前後の文章があっての、このフレーズね。

家族にはトゲが出る。
それくらい心許してて、それもありきで家族として成り立っていて。
娘や夫にも、もちろん、出る。
トゲが、いいものではないかもだが。
尖り方によるよね。

まぁ、母に対してのトゲは、それだけじゃない。
私の幼児期からの、積み重ねがあって、夫や娘に出すトゲよりも尖ったトゲだろう。

人が見たら、さぞ、さぞ、きついトゲに見える事だろう。

今回、その言葉をもらい、いろいろと考えてみる。
すぐに丸くできるようなもんでもなく。
なにより、母がどうのって話じゃなくて、私自身の心の課題。

今できる事。
やっぱり、今出てくる感情、ぜーんぶ、拾えるだけ感じること。

母に対しての感情は、いろんな感情が、いっぱい、いっぱい、しかも同時に出てくるから、大変🤣

悲しみ、恐怖、は、今まで無視してきた系。
怒り、この感情で他のやつ隠してた、私にはめっちゃ必要なものだったやつ。
喜び。これ、悲しみを、ぺろっと舐めたら出てきたやつ。

私のお腹の辺りが、これらが、ぐるぐるぐるぐる回って、ヘドロのようになって、香ってきそう。
もちろん、かなり、不快。

喜びエッセンスが、まだ数滴ほどしか上がってきていないのに、存在は大きい。

このヘドロが、いつか、また変化していけば、トゲが丸くなるかなーなんて思った。

そもそも、私、そのトゲ丸くしたいのか?
今はまだ、丸くしたいと、強くは思ってなくて。
丸くなったら、もっと楽しいだろうなー、くらい。

そんな私の周りに、娘とゆう、たまに神のように優しくなる人が存在していて。
(神が優しいのかどうかはわらないけど)
彼女、その私のトゲを、いちいち折って、母に渡してくれるとゆう役割をしてくれている。

母が寝る場所が我が家にないと言ったら。

じゃ、私の部屋で寝たらいいやん。と。

その前に、そのあなたの部屋片付けないと無理やん!と、突っ込む私🤣

でも、片付けたら、それも可能よね、毎日じゃなくても、たまにでもいい、寝れたらいいよねって。

階段が狭いとか、片付けたとしても部屋が狭すぎるとか問題はあるが、たまに寝るだけならありよなと。

母が風呂に入り、シャンプーがどれか、わかってるかとか、ちゃんと洗えてるかとか、私が頼めば、見に行ってくれたりと。

たまに、優しいんだ、彼女。

そんなこんなで、今日も我が家に、母がいる。

赤もち個性の、3分類が、一部屋に。

それぞれ自由に動いている。

きっと、いつか、これも良い思い出になる。

今死んでもいいように、今を精一杯、生きようと思う。

あぁ私、生きているなぁー