今回、娘が入院した事で、はっきり見えた、娘のすごいところ。

忘れないように書いてみる。

入院中、大部屋で、私たちの部屋には、他に赤ちゃんが二人いたよう。
見てはいない。鳴き声が聞こえたので、そう思うだけ。

なのだが、昼は、あまり気にならないが、夜、泣きがすごい。
息苦しい泣き方。
過呼吸のような、ヒックヒックと、聞いている私が、そのリズムでの呼吸になってしまい、死ぬかと思った。
そして、それが終わるとウギャーと長い泣き声。
少し息が吸えて、しんどいよー!と言えたような泣き方。
が、しばらーく、繰り返され。
そして、1人が泣くと、横の赤ちゃんも、泣く。
夏の蛙の合唱のような。
これもまた、しばらく繰り返し。

私は、自分の呼吸を整えながら、娘を見ると、娘は大丈夫そう。
で、自分の呼吸に集中する私。
でないと、私が死ぬ、と本気で思った。

何がすごいって、
娘が一回も、うるさい、とか、赤ちゃんの泣き声に対し、なんの苦情も出さなかったこと。

一言だけ、すごい小さい声で、私に、眠れない、と言っただけ。
ただ、これは、うるさいからとゆうより、昼間さんざん寝たから、ってゆうのもあるとは思う。

振り返れば、私の父が亡くなる前の病室は、血の腐ったような匂いがしていたのも、一言も、臭いなどとは言わなかった。
妻である私の母は、父の前で臭いといい放ったのが衝撃だったが。
幼い我が子が言わないのに、あなたそれ言う?!と。
それはさておき、やはり、娘はすごい。

そして、叔父が亡くなる前の病室も、最後はその部屋に簡易トイレを置き、用をたしていたので、かなりの匂いだったが、その時も、一切、臭いとは言わなかった。

父の時も、叔父の時も、その部屋でニコニコ、お菓子を食べてくれる。

で、話は、今に戻り。
退院し、帰宅の車内で、私は、赤ちゃんの泣き声を、一言も文句を言わなかったのは、最高に偉かった!と伝えた。
そしたら、娘は。

だってな、それは、私の当たり前だから。と。

そう、娘は自分のペースが大切な個性。
だからこそ、人のペースも、とことん尊重できる。

大人ですら、それが難しいのに、自分の当たり前だと、なんなく、さらっとできちゃうのは、本当にすごい。
呼吸をそっちに持っていかれた私なんぞ、娘に、太刀打ちできるはずない。

そして、余談も書いておこう。

昼間、テレビを機嫌よく見る娘の横に、おしいって、一緒にテレビを見ていたら、、、
娘→誰がメインのベッドなの?と。
私→ママもテレビ見たいんやけど。
娘→狭い

はいはい、そうですねっと、軽く不機嫌になる私。
スマホいじりたいが、充電器ないから、もう触れないし、暇すぎた。

どっちが親やねん。とか、誰が入院してるんだ。とかは置いておいて。

娘は、自分のスペースも大事
私は、一緒に、が大事。

双方のいい塩梅を、その都度探す、私たち、赤もちまみれ親子。

最後に。
今回、娘をすごいと思う事を書いたけれど。
泣き声がうるさいと言う事を悪いと思っていない。
それを思うことを悪いとも思ってはいない。
現に、私は思っていたのだから。

これを公開した時に、信頼できる方から、
価値観は、人それぞれに違う。とゆう言葉をもらい、私も、そう思う。
だけれど、私の文章の書き方が誤解を招くかもしれないと思い、最後に。と、追記させてもらいました。