幼少期から、目を見開き、周りの顔色を伺い続けてきた私。
お母さんに攻撃とゆう名の甘え方をしていた私。
幼児期から、周りとは少し違った、ものの見方をしてきた私。
異性に対し、親から貰いたいものを求めた私。
特に、異性に対して、怒りの感情を出せない私。
辛い感情を、もう一人のわたしに任せた私。
そんな私は、
一度会った人の名前や顔は覚え、
一度聞いた話も覚え、周りの顔色に神経を研ぎ澄まし、アンテナを、めいいっぱいはって、生きてきた。
ヘルパーの仕事をするようになって、人のお世話をするとゆう仕事で、私が親からしてほしい事を、私がしている、とゆう状況になった。
他にも、要因は、いろいろあるが。
私の中の何かが、プツッと切れた。
過呼吸になり、感情の起伏が、どうにもこうにも止められない。
自分の身体を、自ら傷つけてみても、死ぬまでの勇気はなく。
仕事に支障がでてきたので、一旦仕事をやめた。
そして、周りに迷惑がかかりだすと。
私の親は、私を精神科に入院させようとした。
私は、ただ、私をさすってほしかった。
けれど、私がしてもらったのは、周りに迷惑かけないように、どこかに閉じ込められかけた。
悲しみを、もう一人のわたしに任せても、悲しみの量は、もう一人のわたしのキャパを越え、溢れ出したが、それでも、私は、もう一人のわたしに任せてることすら気づけなかった。
入院させようとしてるで。と教え、心配を言葉としてくれたのは、下の兄だった。
そこから、私は精神科に通う。
病院の先生が、パソコンに向かうオオカミに見えた。
怖かった。
受付でも、いつも震えていた。
先生は、私に病名をつげ、薬をくれた。
安定剤と、睡眠導入剤。
薬にはまり、ないと辛く、気分が優れない時は、薬を大量に飲んだ。
死ねたらいいな。そう思っていた。
眠りから覚めるのが、悲しく、怖かった。
誰も必要としてない、私のこころも、身体も、存在していても意味がない。
そんな風に感じてた。それとは、うらはらに、誰か、私を愛して!!と感じてもいた。
親は、私のこころにも、身体にも触らなかった。
私は、腫れ物のように扱われた。
触れば爆発するかのような危険物。
今、振り替えれば、親は、どうしたらいいか、わからなかったんだろうなと思う。
続きは、また、今度。
何度も何度も、言いますが、これは、親が悪いと言いたいのではない。
私が選んだ考え方や行動である、とゆう事を忘れないでいただきたい。
すべては、私が選んだチョイス。