あるブログを読んで、思わず考え込んでしまった。ただ、こんなテーマ、あきらかに恥ずかしい。こんなこと書いたら、絶対に、引かれる気がする。でも、手に文字が降りてくるんだから、仕方がない。そう、開き直り。ともの十九番(笑)。ただ、お願い、ちゃかしたコメントはしないで。場合によっては記事自体を消すかもしれない。書いたから載せてるだけ。また、怖いので、今回はコメントは承認制にさせて下さい。


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種の保存 付随する感情について

                         夏風 とも 2011.12.5



 人は生身の肉体を持つ以上、性欲はあって当たり前。ともはそう考え、開き直っている。ただ、古今東西を問わず、性欲=悪ととらえる風潮があるのも事実。ともはジェンダー論はあまり勉強していないため、薄い論展開になるのだけれど。


 うろ覚えのため、確かな根拠はないもの、いくつかの事例が思い浮かぶ。ある地域では女性の陰核を邪なるものとして切り取るという。ある地域では己を恥じ、自らの背を鞭で叩くという。またある時代、ある地域では、それを想定させる女性そのものを邪なる存在としてとらえる。古来より、様々な宗教で、女性は男性にみだらな想いを想定させる邪なるものとして取り扱われてきた。ある宗教では人類誕生時から悪をもたらす邪なる存在としてあつかわれ、時に苛烈なる仕打ちを受けた。ある宗教では邪念をもたらす悪の一つとして扱われ、聖なる山などには入ることさえできなかった。ある宗教では誘惑をもたらすような存在としてとらえられ、体どころか、髪や顔を見せるのさえ、許されない。


 そもそも生物の本能として種の保存がある。自己の遺伝子を次の世代に伝える。そのための機能として種保存への欲求がある。そしてそれに付随して多幸感が得られる。それが機能しなければ、種として衰退に向かう。すなわち、本能に根ざしたメカニズムなのである。


 従って、健康な肉体であれば、性欲をもつのは当たり前。種を保存させようとする個体の一である以上、その感情の芽生えは受け入れざるを得ない。もちろん、その感情を持て余すのは事実。いわゆる、体が疼く、体をもてあます、そんな状態が生じるのは事実。そうであれば、その状態を解消させるため、いくつかの手段を用いることは悪だろうか。


 人は弱いもの。ある快楽を知ればそれに耽りがち。麻薬がそう。おそらくどんな人でも、麻薬を用いれば、十中八九、虜になり、中毒になる。種の保存に伴う快楽もそう。たとえば、強制された状態で、その種の感情を想起させる行為を持続的に加え続けられるのであれば、人はほぼ必ず堕ちる。古来からの常習手段。快楽が伴うだけに、始末が悪い。おそらく、とももそうした状況に巻き込まれれば、必ず中毒となる。そう自覚している。だから避けるときには避ける。本趣旨とは矛盾するようだが、スタイリッシュでなくとも、あからさまに逃避することもある。そういう意味では、ロールズの合理的で道理性をもった人格であるとの人の制約は捨てがたい。


 ただ、性欲は避けるべきものだろうか? リリスにとりつかれると、もう離れることはできないのだろうか? 古来からの考えの主流は、その感情は、淫らであり、邪である。すなわち、身にそれがわき起こるのは、恥ずるべきであり、それ自体が悪。そして、それが進めば、女性の存在、それ自体が悪とされる。避けるべき、忌むべき存在におとしめられる。


 それが理解できない。それを受け入れ、コントロールすればいいだけではないのか。種としての本能に従って沸き上がるものを、抑えること自体、無理ではないのか。もちろん、それは人により様々。捨てることができる人もいる。それは事実。でも、ともは沸き上がるある種の感情を抑えられない。いや、もっと真摯に自分を見つめると、違う。抑えることはできる。そのすべも知っている。ただ、それを捨てたくないのだ。それがともの限界。


 胸から上の世界だけの生は、清らかだけれども、なにか味気ない。もちろん、下だけの世界も、避けたい。それはそれですばらしい世界とも聞く。けれど、胸から上を放棄するのが代償であれば、捨てることはできない。いええ、したくない。絶対に。


 そもそも種を保存する個体として生を受けた以上、その二者択一をすべきものではない。その点、仏教が好きなのは中庸という考えがあること。そう、中庸でいいのだ。なんら恥じることはない。それが種としての個体の本能なのだから。嫌悪しているのは、そう仕向けた、古来からの、道徳、あるいは宗教という名の呪縛。あるいは耽るなという戒め。背景を考えると、色々あるが、議論が複層的になる。
  
 議論が錯綜してきた。また、改めて考えるとして、今朝はここでいったん筆を置きたい。


 しかし改めて思う。今の時代でよかった。そうでなければこんな考えをうっかり口にしただけで、拷問され、焼き殺されている。邪なるものとして烙印を押され、辱めを受けて。


 ガロット、異端者のフォーク、ジベット、苦悩の梨、スペインの椅子、、それにしても、よくもまあ、そんなもの思いつく。聖なる目的のため、そう狂信すれば、人はここまで残酷になれる。地味な指つぶしや、水責めでさえ、人の意志など簡単に踏みにじる。。