思考するアウトプット
ブログネタ:もしかして、風邪引いてる?
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引いておりませんけども?
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2月3月とほぼ毎日ブログを更新していたのに、そのペースが一気に落ちた理由はいくつかあって、そのうちの大きな要素の一つは何度も言っているようにXperiaに機種変したことで文字入力がめんどくさくなったことなんだけど、もう一つの大きな要素は「書こうとしても頭からっぽ感たっぷりの中身のないことしか書けない」からというのを前に書いた。頭からっぽ感たっぷりになってしまったのは仕事に疲れていたことが原因なんだと思うけど、”忙しいから書く時間がなかった”ではなくて、”忙しくても書こうとしてるんだけど書けなかった”というのが正しいところ。最近やっと仕事が落ち着き、少しづつ余裕がでてきたところでこうやって文章を書いてみると、忙しかったあの時期に書いていた頃のそれとは明らかに自分自身の納得度が違う。どちらも駄文には変わりないんだけど・・・。
で、その「頭からっぽ感」についてはずっと考えていたんだけど、今日すごく良い表現を見つけた。それがタイトルの「思考するアウトプット」なんだけれど、あの時期に書こうとして断念していた文章は正に「思考していないアウトプット」なんだよね。そういう意味で、あの時期に僕が無理やり書こうとしていた文章は、意思も主張もなくただ”文字”を散らかしているだけのものだったんだよね。でね、それに絡めて「思考するアウトプット」ってどういうことだろうって考えていたんだけど、間違えちゃいけないのはアウトプットが多い人が必ずしも”思考”しているとは限らないということ。その場の感情や判断で安易にモノを言っているというのはよくあることだけど、得意な人にとってその場限りの説得力なんてものはいくらでも偽装できちゃったりするもんだから、すごく”思考している”ように見えるんだけど、実は中長期的視点で見ると一切”思考してない”というケースもよくあるはずだから、そういうところは、自分に対しても、聞いた話に対しても、もっと見極める力を身に付けないとなーって思ったのです。
とはいえ、アウトプットに慣れるためにやっぱり質より量な時期も必要だとも思うわけで、さらにはコミュニケーションにおける役割としても全て質だけが重要というわけではないわけで、その辺は”思考するアウトプット”と”思考しないアウトプット”の役割の違いってのもあるのかもしれないね。
引いておりませんけども?
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2月3月とほぼ毎日ブログを更新していたのに、そのペースが一気に落ちた理由はいくつかあって、そのうちの大きな要素の一つは何度も言っているようにXperiaに機種変したことで文字入力がめんどくさくなったことなんだけど、もう一つの大きな要素は「書こうとしても頭からっぽ感たっぷりの中身のないことしか書けない」からというのを前に書いた。頭からっぽ感たっぷりになってしまったのは仕事に疲れていたことが原因なんだと思うけど、”忙しいから書く時間がなかった”ではなくて、”忙しくても書こうとしてるんだけど書けなかった”というのが正しいところ。最近やっと仕事が落ち着き、少しづつ余裕がでてきたところでこうやって文章を書いてみると、忙しかったあの時期に書いていた頃のそれとは明らかに自分自身の納得度が違う。どちらも駄文には変わりないんだけど・・・。
で、その「頭からっぽ感」についてはずっと考えていたんだけど、今日すごく良い表現を見つけた。それがタイトルの「思考するアウトプット」なんだけれど、あの時期に書こうとして断念していた文章は正に「思考していないアウトプット」なんだよね。そういう意味で、あの時期に僕が無理やり書こうとしていた文章は、意思も主張もなくただ”文字”を散らかしているだけのものだったんだよね。でね、それに絡めて「思考するアウトプット」ってどういうことだろうって考えていたんだけど、間違えちゃいけないのはアウトプットが多い人が必ずしも”思考”しているとは限らないということ。その場の感情や判断で安易にモノを言っているというのはよくあることだけど、得意な人にとってその場限りの説得力なんてものはいくらでも偽装できちゃったりするもんだから、すごく”思考している”ように見えるんだけど、実は中長期的視点で見ると一切”思考してない”というケースもよくあるはずだから、そういうところは、自分に対しても、聞いた話に対しても、もっと見極める力を身に付けないとなーって思ったのです。
とはいえ、アウトプットに慣れるためにやっぱり質より量な時期も必要だとも思うわけで、さらにはコミュニケーションにおける役割としても全て質だけが重要というわけではないわけで、その辺は”思考するアウトプット”と”思考しないアウトプット”の役割の違いってのもあるのかもしれないね。