またご無沙汰しちゃいました。
最近、私は、カウンセラーの勉強をしています。
カウンセラーになるかどうかよりも、きちんと心理学を学ぼうと思ったのです。
きっと、心理を学ぼうと思う人の中には、家族の中に問題を抱える人がいて、
傷ついてきた人も多いのではないでしょうか。
かく言う私もまたその一人です。
昨日、自分の問題点を発見したので、それをシェアしたいと思います。
それは、一枚のチラシから始まりました。
それは、灯油の宅配のチラシで、今までは、200リットル以上でなければ
配達してくれなかったのですが、その業者は、ポリタンク1つから配達してくれる
というのです。私は、今まで近所のガソリンスタンドに通っていました。
でも今、肘を故障していて、負担をかけられない状況なので、
宅配してもらえたら助かる、便利になって良かったなーと思いました。
ところが、一方で喜べない自分がいました。
それは、今までお世話になり、顔見知りになって、声を掛け合ってきた
ガソリンスタンドの人たちのことです。
私は、そこから灯油を買わなくなっても、そのガソリンスタンドの前を平気で、
いつものように通り過ぎることができるのだろうか。
不自由だなー「また」私は、自分を制限している・・と思いました。
そう「また」だったのです。
それに気づいたので、自分の気持ちを掘り下げることにしました。
引っ越してきた頃は、地域に貢献できるように、地域に馴染めるようにと
積極的に近所の店舗から購入するようにしていました。
そのため、顔見知りも増え、会うと挨拶や会話をするようになりました。
私が青果関連の会社で働くようになると、野菜や果物は、自分の会社から買うように
なりました。そうすると、今まで通っていた市場の人に申し訳ない気分になりました。
たまには市場で買い物しようと思うと、今度は市場の人が、あれこれ勧めるのです。
市場の人にとっては、それが仕事なのだと分かってはいるのですが、
市場の前を通るたびに断るのが嫌になってしまい、そこを避けるようになってしまいました。
そういうことがいくつかあって、通り道まで制限されているのです。
断るのが嫌で、いらないものまで買ってしまったら、買わされた感が強く
お店の人に対して好意的ではいられない気がします。
では、断ることが何故こんなに嫌なのでしょう。
何故、申し訳ない気分になってしまうのでしょう。
1つは、買わない自分は、お店の人にとって価値がないと感じること。
これは、まだ私の自己評価が低いのかもしれません。
お店の人がどう思おうと、それは私の価値とは関係のないことです。
買わなくても、自分が挨拶しようと思えばすればいいし、
最悪、相手が無視しようと、私の問題ではありません。
今まで会話してきた相手が、そう出来なくなるのは寂しいかもしれませんが。
もう1つは、多分私の潜在意識には、「断る=拒絶」と記録されていると思いました。
そして、「断る=拒絶=傷つく」です。
断ることが苦手な人は、そういう体験をした人に多いのではないでしょうか。
私の場合・・
私が生後半年くらいのとき、両親は離婚しました。
物心ついたときには、私は父と暮らしていたのです。
私は、父が仕事で大変だということを感じ取っていたので、
聞きわけの良い子だったと思います。
よく人に預けられました。その中に、
父の前では「喜んで預かる」と言いながら、父がいなくなると途端に
迷惑がるご夫婦がいて、そのとき私は「自分は迷惑な存在なのだ」と
思い込んでしまいました。それが、私にとって、その後の行動に
大きな影響を与えたのです。いつも人に迷惑をかけないように、
申し訳なさそうに生きていました。
赤ん坊から幼児にかけて、普通は欲望のままに行動し、それを受け入れてもらう。
甘えも、我儘も許され、自分はそこに存在してもいいと思える
そんな時期が、私にはありませんでした。
父と母が再婚し、実の母が戻ってきたのは、4歳の頃。
それでめでたし・・とはいかなかったのです。
私には、母というものがどういうものか分かりませんでした。
「今日も一緒にいてくれた」「今日も一緒にいてくれた」・・と
毎日確認し、ずっと一緒にいてくれることが分かってくると、
ようやく甘えよう、心を開こうと近づくのですが、
何か違和感を感じ、心を開くことができません。
それでも甘えたい欲求は強いのです。
そんなとき「あっちに行ってなさい!」「暑苦しい!」と振り払われた私は
また自分の殻に閉じこもってしまいました。
そのときの私は、深く傷つき、拒絶されたと思いました。
今なら、その言葉が、私を拒絶するものではないし、母も未熟なのだと分かります。
でも、それが分かったからといって解決ではないのです。
きっと、私の潜在意識に深く刻まれた「断る=拒絶=傷つく」という公式を
書き換えなければ、同じことが続くのだと分かりました。
今までの私は、多分、必要以上に傷ついてきました。
逆に、人を傷つけないようにと気をつけてもきました。
その「傷つく」という範囲の設定が広過ぎたのです。
自分が傷つくから、相手も傷つくと思い込み、傷つけたと思って、罪悪感を抱いてしまう。
申し訳ない気分とは、その罪悪感ではないでしょうか。
私はまだ、「自分の問題」と「人の問題」をうまく分けられていないのでしょう。
「断る」ことは、その人の意思や希望を伝えているだけであって、
私を拒絶しているのではなく、ましてや傷つく必要もないのです。
たとえ私を拒絶する人がいたとしても、それは相手の問題で、
今の時点では、一緒にいない方がいい相性なのだと思えば、傷つく必要もありません。
存在価値は、すべての人にあり、
それは、誰によっても傷つけられるものではないのです。
これは、傷つきやすい自分にも言い聞かせていることです。
断るのが苦手な人、勧誘の電話をなかなか切れない人、
切れても、相手に悪いなと感じてしまう人、こんなことを言ったら
相手を傷つけてしまうと感じて、自分の意思を言えない人いませんか?
潜在意識についての本も読んだのですが、潜在意識を書き換えるとは
どういうことなんだろう?私の中に、どんな書き換えた方がいい問題が
あるのだろう?と思っていましたが、
今回ちょっと分かりやすい事例だと思ったので、書いてみました。
もし、私と同じような人がいたら、
「断る=拒絶=傷つく」を「断る≠拒絶≠傷つく」にできたらと思います。
一緒に「傷つく」範囲を見直しませんか?
