Tomo Style

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私の好きなものについて語ります。
本・・・歴史もの、精神論
音楽・・・クラシック、ロック
自然・・・木や森
企画・・・生活に関するもの
食べることetc・・

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 またご無沙汰しちゃいました。

 最近、私は、カウンセラーの勉強をしています。

カウンセラーになるかどうかよりも、きちんと心理学を学ぼうと思ったのです。

 きっと、心理を学ぼうと思う人の中には、家族の中に問題を抱える人がいて、

傷ついてきた人も多いのではないでしょうか。

かく言う私もまたその一人です。


 昨日、自分の問題点を発見したので、それをシェアしたいと思います。


 それは、一枚のチラシから始まりました。

それは、灯油の宅配のチラシで、今までは、200リットル以上でなければ

配達してくれなかったのですが、その業者は、ポリタンク1つから配達してくれる

というのです。私は、今まで近所のガソリンスタンドに通っていました。

でも今、肘を故障していて、負担をかけられない状況なので、

宅配してもらえたら助かる、便利になって良かったなーと思いました。

 ところが、一方で喜べない自分がいました。

それは、今までお世話になり、顔見知りになって、声を掛け合ってきた

ガソリンスタンドの人たちのことです。

私は、そこから灯油を買わなくなっても、そのガソリンスタンドの前を平気で、

いつものように通り過ぎることができるのだろうか。

不自由だなー「また」私は、自分を制限している・・と思いました。


 そう「また」だったのです。

 それに気づいたので、自分の気持ちを掘り下げることにしました。

 引っ越してきた頃は、地域に貢献できるように、地域に馴染めるようにと

積極的に近所の店舗から購入するようにしていました。

そのため、顔見知りも増え、会うと挨拶や会話をするようになりました。

 私が青果関連の会社で働くようになると、野菜や果物は、自分の会社から買うように

なりました。そうすると、今まで通っていた市場の人に申し訳ない気分になりました。

たまには市場で買い物しようと思うと、今度は市場の人が、あれこれ勧めるのです。

市場の人にとっては、それが仕事なのだと分かってはいるのですが、

市場の前を通るたびに断るのが嫌になってしまい、そこを避けるようになってしまいました。

そういうことがいくつかあって、通り道まで制限されているのです。


 断るのが嫌で、いらないものまで買ってしまったら、買わされた感が強く

お店の人に対して好意的ではいられない気がします。

では、断ることが何故こんなに嫌なのでしょう。

何故、申し訳ない気分になってしまうのでしょう。


 1つは、買わない自分は、お店の人にとって価値がないと感じること。

これは、まだ私の自己評価が低いのかもしれません。

お店の人がどう思おうと、それは私の価値とは関係のないことです。

買わなくても、自分が挨拶しようと思えばすればいいし、

最悪、相手が無視しようと、私の問題ではありません。

今まで会話してきた相手が、そう出来なくなるのは寂しいかもしれませんが。


 もう1つは、多分私の潜在意識には、「断る=拒絶」と記録されていると思いました。

そして、「断る=拒絶=傷つく」です。

 断ることが苦手な人は、そういう体験をした人に多いのではないでしょうか。


 私の場合・・

 私が生後半年くらいのとき、両親は離婚しました。

物心ついたときには、私は父と暮らしていたのです。

私は、父が仕事で大変だということを感じ取っていたので、

聞きわけの良い子だったと思います。

よく人に預けられました。その中に、

父の前では「喜んで預かる」と言いながら、父がいなくなると途端に

迷惑がるご夫婦がいて、そのとき私は「自分は迷惑な存在なのだ」と

思い込んでしまいました。それが、私にとって、その後の行動に

大きな影響を与えたのです。いつも人に迷惑をかけないように、

申し訳なさそうに生きていました。

赤ん坊から幼児にかけて、普通は欲望のままに行動し、それを受け入れてもらう。

甘えも、我儘も許され、自分はそこに存在してもいいと思える

そんな時期が、私にはありませんでした。

 父と母が再婚し、実の母が戻ってきたのは、4歳の頃。

それでめでたし・・とはいかなかったのです。

私には、母というものがどういうものか分かりませんでした。

「今日も一緒にいてくれた」「今日も一緒にいてくれた」・・と

毎日確認し、ずっと一緒にいてくれることが分かってくると、

ようやく甘えよう、心を開こうと近づくのですが、

何か違和感を感じ、心を開くことができません。

それでも甘えたい欲求は強いのです。

そんなとき「あっちに行ってなさい!」「暑苦しい!」と振り払われた私は

また自分の殻に閉じこもってしまいました。

そのときの私は、深く傷つき、拒絶されたと思いました。


 今なら、その言葉が、私を拒絶するものではないし、母も未熟なのだと分かります。

でも、それが分かったからといって解決ではないのです。

きっと、私の潜在意識に深く刻まれた「断る=拒絶=傷つく」という公式を

書き換えなければ、同じことが続くのだと分かりました。


 今までの私は、多分、必要以上に傷ついてきました。

逆に、人を傷つけないようにと気をつけてもきました。

その「傷つく」という範囲の設定が広過ぎたのです。

自分が傷つくから、相手も傷つくと思い込み、傷つけたと思って、罪悪感を抱いてしまう。

申し訳ない気分とは、その罪悪感ではないでしょうか。

 私はまだ、「自分の問題」と「人の問題」をうまく分けられていないのでしょう。

「断る」ことは、その人の意思や希望を伝えているだけであって、

私を拒絶しているのではなく、ましてや傷つく必要もないのです。

たとえ私を拒絶する人がいたとしても、それは相手の問題で、

今の時点では、一緒にいない方がいい相性なのだと思えば、傷つく必要もありません。

存在価値は、すべての人にあり、

それは、誰によっても傷つけられるものではないのです。

これは、傷つきやすい自分にも言い聞かせていることです。


 断るのが苦手な人、勧誘の電話をなかなか切れない人、

切れても、相手に悪いなと感じてしまう人、こんなことを言ったら

相手を傷つけてしまうと感じて、自分の意思を言えない人いませんか?


 潜在意識についての本も読んだのですが、潜在意識を書き換えるとは

どういうことなんだろう?私の中に、どんな書き換えた方がいい問題が

あるのだろう?と思っていましたが、

今回ちょっと分かりやすい事例だと思ったので、書いてみました。

 もし、私と同じような人がいたら、

「断る=拒絶=傷つく」を「断る≠拒絶≠傷つく」にできたらと思います。

 一緒に「傷つく」範囲を見直しませんか?

 またまたサボってしまいました。

書きたいことがない訳じゃなく、むしろ書きたいことだらけ。

書き出すと、長くなることが目に見えて、後回しに・・


 今日は、あまり時間のかからない、私にとっては、ちょっといい話を。

 先日の朝、家を出ると、ラジオ体操の帰り道か、

小学生の高学年くらいの男の子2人と会いました。

見ず知らずの私に、「おはようございます」と挨拶するんです。

勿論、私も「おはようございます」と応えました。

これだけです。


 でも、私の中では、昔は、ごく普通のことだったなーって。

最近は、「変な人に声をかけられたら、逃げなさい」とか言われますよね。

子供に声をかけたら、「あの人、子供に危害を加えようとしてるんじゃ・・」

とか、思われないかなんて、大人の方も気軽に声をかけられない

ということはありませんか?

私も、人の目を気にしていたんだなーと思いました。


 実際、朝から気分が良くなって、

私も誰かに声をかけてみようという気になりました。

思い出したんです。映画の「ペイ・フォワード」を。


 3分後、私は、通り道である公園の花壇を手入れしている女性を見つけ、

「おはようございます。精が出ますね」(もっと気の利いた言葉はなかったのか・・)

女性も笑顔になり「おはようございます。大したことは・・」と。


 人は、見ず知らずの人もちゃんとつながっているんだな~

 子供の一言の挨拶から、私も勇気をもらい、花壇の女性に声をかけられた。

あの女性も、別の誰かに良い気分を与えているかもしれない。


 たった一言が、人を幸せな気分にすることができる。

それを、あの男の子から教えられました。


 人と関わるとき、なるべく良い気分になる関わりになるようにしようって。

そうしたら、きっと「ペイ・フォワード」のように

幸せの輪が拡がっていくでしょう。

 ちょっとした勇気が、自分も人も幸せにする。

それは、ほんの小さな一歩だけど、

その波は、大きく拡がっていくと思います。


 どうせ自分は、小さな存在だと思っている姪にも、

この話をメールしました。大きなことしなくても

たった一言で、世界とつながるんだよって言いたかったのかな。

 昔は私も姪のようだった。「自分なんて・・」とは言わなかったものの

世界と自分は、遠く離れたものだった。

でも、最近は、有名人であろうと、普通の人で、遠い人とは感じなくなってきた。

 人と自分を比べるから、「自分なんて・・」という自分の価値を疑う気持ちが

湧いてくるのであって、自分は自分のままで、否、

自分のままがOKと思えてくると、「自分なんて・・」と自分を否定する言葉も

減ってくるのではないかと。


 姪も自分と人を比べない、自分の価値を認めてくれるようにと。

まあ、私自身、ここまでたどり着くには、長い年月がかかった訳で、

姪には、姪のタイミングで、分かるときがくると思います。


 結局、長くなっちゃったかな・・・

 「仕事」で悩んでいる人は多いのではないでしょうか。

 昔は、仕事に自分を当てはめるのが一般的でした。

「資格があれば就職も有利」という言葉にも乗せられました。

自分のやりたいことに必要ならいいのです。

でも、資格さえあれば、やりたいことができるとは限りません。

現に、私は、宝の持ち腐れ状態です。


 自分が本当にやりたいことが何なのか、わからない。

そんな状態が、長いこと続きました。

それでも、心のどこかで「本当にやりたい仕事が分かったら、きっと

自分の毎日は変わる。私は、毎日やりがいを感じ、生き生きと輝ける」と

信じていたと思います。その想いを捨てることはできませんでした。


 幸か不幸か、私は、どんな仕事の中にも、「こうしてみたらどうだろう」とか

「こうしたら、もっと時間短縮になるのでは」とか

「こうしたら、みんながやり易くなる」とか、楽しみを見つけてしまうので、

自分に合わない仕事、楽しくない仕事と判明するまで時間がかかってしまいます。

中学の先生に言われた言葉「あなたは、器用貧乏にならないように注意しなさい」

まったくその通り。だから、何か突出した特技がある人が羨ましかった。


 だけど、続かない会社もありました。

それは、モラルのない会社です。表面上は、顧客のためを装いながら、

実は、顧客のことなんて眼中にない、売上や利益にしか興味のない企業がありました。

そんな企業は、少なくなっているとは思いますが。

自分の所属する企業が信用できないとき、商品やサービスを自信をもって

勧められないとき、会社の方針だから・・と従う人もいると思うのですが、

私の場合、目をつぶれませんでした。

一応、上司や経営陣には、改善を求めたり、改善案を提出し、話し合いはするのですが、

大体、モラルのない会社というのは、モラルのない経営陣によって作られるものなので・・


 未来の企業は、縦社会から横社会になると思います。

既に、そうなりつつあると感じています。


 では、仕事はどうなっていくのでしょう。

 以前、ラーメン好きが高じて、ラーメン評論家になった人の話がとても印象的でした。

思考が現実化することを知ってからは、このようなことが加速すると思いました。

今までは、「仕事に自分を当てはめる」でしたが、これからは、「自分に仕事を合わせる」です。

私も長い間そうでしたが、多くの人が、「自分とは、ちっぽけな存在」と思っています。

人>仕事と思えている人は、どのくらいいるでしょうか。でも、確実に増えていますね。


 よく十人十色とか、一人一人が個性的な存在とか言いますが、

私はずっと、そんなに違いはないと思っていました。

でも最近、ちょっとした違いが、すごい違いなんだと感じています。

自分が話したことに対する相手の反応が想像を越えるってことありませんか?

ここのところ、そういうことが続いて、「どう解釈すれば、そんな反応になるんだ?」と

絶句というか、唖然というか・・理解の範疇を越えている

それほど人って違うものなんだって。

 そう考えると、人の数だけ仕事があってもいいくらいだと思いませんか?


 最近、老人介護施設での虐待が問題となっていますが、施設スタッフの負担の大きさ、

賃金の低さと色々課題はあると思いますが、1番の問題は、

本当に自分がやりたいことなのかということです。

需要が多いから、仕事に就けるから、人の役に立てるから・・

そんな理由で仕事に就いている人も多いのではないでしょうか。

つまり、仕事>自分になっているのです。


 私は、人が自分らしくあるときが一番、世の中のためになると信じているんですよね。

つまり、人の数だけ、世の中に貢献する方法があるということです。


 今までの「仕事」は、「稼ぐ」ものでした。

未来の「仕事」は、「自分を表現する」ものではないでしょうか。


 
 最近は、仕事の種類も肩書きも、増えていると思いませんか。

この間読んだ本の著者は、「やりたいこと探し専門心理カウンセラー」でした。

いや~色んな仕事、個性があるものです。

これからも、仕事の種類は確実に増えていくでしょう。

どんな面白い仕事が出てくるか、楽しみですね。

 でもそれは、確実に、自分を表現する人が増えるということです。

そして、幸せな人が確実に増えていくということ。

未来・・楽しみですね。

その幸せな人になるために、自分を知ることが第一歩です。

あなたの個性、才能を待っている人が必ずいます。

あなたの個性、才能にフタをしていませんか?

それをみんなにシェアしましょう。

個性、才能を閉じ込めておくことは、世の中の損失です。

  ・・・と私は思っています。

 みなさんは、自分の天職にもう出会いましたか?

 私は、自分が本当にやりたいことが何なのか、ずっと探してきました。

このところ、ずっと本を読みふけり、ワークをし、自分の中の情熱がどちらに向いているのか

知ろうとしてきました。

アイデア、企画の周辺にあるとは、薄々気づいていたものの、それがどの分野なのか

絞り込めなかったのです。


 ある本で、性格、喜びの源泉に関するテストがあって、それをやってみたところ

私は、「アイデアマン」か「戦略家」でした。

他に、今までの成功体験を書き出すというワークをやってみたんです。

すると、私の成功体験のほとんどが、私の戦略が功を奏したというものでした。


 色んな事を思い出しました。

小学生の私が、父の知人が経営する喫茶店で新メニューを話したところ、

そのメニューが採用(実は、子供だからと勝手にパクられた)されたこと。

 色んな提案は、私がずっと、既にしていたことでした。

社内にいるときも、上司や先輩に色んな企画を提案しましたし、

ある時は、転職のための面接で、その企業の商品や店舗を知り、

改善点や新商品の提案など、考え出すと止まらなくなり、企画書を送ったり。

 考えてみると、私はいつも

どうしたらもっと良くなるか、もっと便利になるか、もっと簡単にできるか、

もっと格好良くなるか、そして、どうしたら今あるものを最大限に生かせるかを

考えていたように思います。


 またある朝、ある言葉が降りてきました。

それは、「幸せな会社プロジェクト」です。

 そこには、私の今までの人生が詰まっていました。

私は、創業者の祖父、2代目の父の元に生れ、経営者側の目で見てきたこと。

そして、会社の隆盛期も衰退期も見てきたこと。

母の存在によって、いつも人の心について考えさせられる環境だったこと。

私は、自分の進路を決める時期に、自分が何に向いているのか分からず、

とりあえず「税理士」と決めました。そのときは、税金はなくならないだろう

という安易な考えだったわけですが、実際に仕事をしてみると、

まったく私の興味の正反対の仕事だったと思いました。

何故なら、私は、これからどう良くするかを考えるのが好きなのに、

会計事務所の仕事は、過去の企業活動の記録をどう記帳し、申告するかという

ものだからです。その数値をこれからの活動に生かすこともできない訳ではありませんが、

どちらかと言えば、過去なんて済んだこと、私にはどうでもいいことだったのです。

 しかし、この一見無駄な経験のように思っていたことも、

「幸せな会社プロジェクト」にとっては、大事な経験だったことが分かりました。

それは、毎月の監査で、経営者と会い、話すという大事な経験だったのです。

もしも、この経験がなければ、私は経営者と出会うことも、話をすることもなかったでしょう。

そして、もし若いうちにこの天職に出会っていても、

「私には、無理」と挫折していたかもしれないし、社長に会い、話をするのに

気後れしてしまい、立ちすくんでいたかもしれません。

 このように、私の今までのバラバラだった経験の一つ一つが、

パズルのピースのように、ピタッ、ピタッと当てはまっていくような気がしました。

改めて、人生には無駄なことはないのだなーと思いました。


 「幸せな会社プロジェクト」がひらめいた後は、もう、色んなアイデアが

頭を駆け巡っています。幸せです~


 とりあえず、まだ準備が必要です。急遽、来月試験を受けることにしました。

勉強は、これからですが。


 自分の天職にまだ出会っていない人は、あきらめないでください。

私は、一般的にはもう人生の後半戦世代です。

今、本当にあきらめなくてよかったと思っています。

そして、なるべく自分の興味のある方へ進んでみてください。

世間にある仕事に自分をあてはめるのではなく、自分にあるもの、すでにやっていたことに

注目してみてください。成功体験を書き出すのは、おすすめです。

きっと、ベストのタイミングで出会えます。

 今度は、「幸せな会社プロジェクト」についてシェアしたいと思います。


 みんなが自分の天職に出会い、幸せな仕事ができますように。

 私は、北海道生れ、北海道育ち、一時東京にいたこともあったけど、

やはり帰ってきてしまったくらい北海道が大好きです。

不便もあったり、自然災害もあったり、寒さもあったりするけれど、

四季を感じ、自然が身近にあることの方が、私にとっては毎日が豊かなのです。


 この北海道において、私が思うことを2つ。

 1つは、原子力発電所の再稼働のこと。

この春から、電力自由化になるそうですが、これは私にとっては喜ばしいと思えることです。

今まで、電力供給は北海道電力(通称 北電)が独占してきました。

東日本大震災の後も北電は、原子力発電にこだわり続けています。

そして、道も北電と同じように見受けられます。

それは、産業を発展させ、税収が欲しいからではないか。

北電は、結局自社の利益優先ではないか。

 東日本大震災において、いかに危険なものかを知った私たちは、

原子力発電なしで、寒い冬を越せるということを示してきました。

なのに、何故、再稼働にこだわる必要があるのでしょう。

例え、誰かが安全性にお墨付きをくれたとしても、それが存在していること自体が

危険だと私は思います。

これだけ世界各国でテロが起こっているというのに、そんな安全性が役に立ちますか?

そして、稼働中は安く電力を供給できるかもしれない。

使用後は、どうでしょう。

今は、受け入れてくれる国があるかもしれない。でも、将来受け入れてくれなかったら?

受け入れの金額は、跳ねあがるかもしれない。

処分場は、結局お金のない自治体に押し付ける。

よく「次世代に引き継ぐため」と言われますが、こんなもの負の遺産でしかありません。

 もし、事故が起こった時、「想定外だった」では済まされない。

地球規模の災害になるのだから。

それだけ再稼働にこだわるのであれば、

「事故が起こった時の放射能は、我々がこう処理できます」

というくらい、次の手を打ってからにしてもらいたい。

処理できないくせに推進しようとする北電なんて、絶対選ぶものか。


 もう1つは、今、北海道新幹線が開通するって、キャンペーンも多く、

喜んでいる人も多いのですが・・


 私は、函館までだったらいいと思うのですが、それ以上必要なのだろうかと。

函館までと言うのは、本州と地続きになるからという理由です。

やはり青森との間に海があると、青森の人だって、岩手や秋田はお隣りという感覚でしょうが、

北海道を隣りという感覚にはならないと思うんですね。

 でも、他はどうでしょう。今は、みんな期待して、盛り上がっていますが、

ずっと採算が取れるとは思えない。

時間を大事にすれば、飛行機の方が早いし、ゆっくり周りたいと思えば、ローカル線やバス、車。

北海道に新幹線は、中途半端にしか思えないんですよね。

新幹線を通すために、貴重な自然を失うことの方が大きいと思います。

自然の中を猛スピードで走る新幹線・・似合わないと思いませんか?

 北海道を訪れる多くの人の目的は、

自然の中を猛スピードで通り過ぎることではないと思います。

自然自体が、目的であり、資源なのです。

その資源を失うことの方が、大きな損失に思えます。

自然がなくなった北海道に観光客を呼び寄せる力があるでしょうか?


 目先のことばかりに囚われていると、取り返しのつかないことになるのではないかと

危惧しています。

一時は、活性化したとしても、失うもの、10年、20年先、いいえ、100年先もそれは必要か

考えましょう。