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私には、昔から乗ってみたいと思っている車があります。外車の古い型だけど、一度は運転してみたいというのが今でも夢です
だけど私は、自分の車というのを持ったことがありません。免許を取ってからずっと、生活に必要なく、、夢は叶いそうにありません
もし知っている人が目の前で乗っていたら、運転させてもらいたいくらいの氣持ちなのに。
この人生では難しいかもなぁ…と思っています
やりたいことがある、行きたい場所がある、誰でもそんな夢や想いのようなものを持っていると思います。もしそれが可能なのであれば、やってみるのが良いと思います。行ける場所なら行ってみる、会いたい人には会う。
なぜならその想いは、ずっと心に残っていくと思うからです。
やりたかったなぁ…行きたかったなぁ…会いたかったなぁ…食べてみたかったなぁ…。
年齢に関係なくずっとずっと続いていくと感じますしかも氣持ちが募っていくような。。。
あるとき、自分がこの人生を終えようとしているときに後悔することは何…と考えてみました。すると、車以外に、
「金髪にしたい」というのがすぐに出てきました
ずっと昔に既に経験していることなのですが、30代に入ってもう一度ハイトーンカラーにしたいと何回か思ったことがありました。
年齢のことや、周りの人の意見、担当の美容師さんの意見、自分の髪の毛の状態など、様々なことを鑑みて「やめておこう…」当時、自分でそう判断しました。
この想いは、その後ずっと考え続けていた訳ではありません。むしろ、ほとんど忘れていました。
でも、時々フッと心のなかに浮かんでくるのです
今思えば、「こんなくだらないことサッサとやってしまえば良かった」と笑ってしまいます
誰に何と言われようと、自分の氣持ちで決める
やってみたら、案外すぐに落ち着くものだったり、なんか違ったかも…ですぐに元に戻したり。
いろいろ考えて決めるのは、自分の氣持ちが霞んでしまって良くなかったかもなぁ
何でもそうですが、とりあえずやってみるというのがやっぱり良いですね(可能なら)
ちなみに、その後ハイトーンカラーにして今まで半年以上続いています周りの人の感想は聞かずにいます
食べてみたかったやーつ
日常のなかで、些細なことや、くだらないからと抑えている氣持ちは皆さまにはありませんか
お金が勿体ない、時間の無駄、そんな余裕はない、周りの目が気になる、今さら子どもじゃないんだから…。
心のなかで、そう片付けられてしまったものは、本当にそんな想いで流されてしまっても良いのでしょうか
やってみたい、行ってみたい…と思うこととは、些細であっても、いつもとは何か違う特別感があったり、贅沢をするとか、日常のなかで少し背伸びをするような感覚に似ているのかもしれません。
なので人によっては、後ろめたい氣持ちになったり、ワガママ??こんなことやらなくても…という氣持ちになったり、我慢したりしやすいのかもしれません
叙々苑に行ってみたいとか、、〇〇のホテルに泊まってみたいとか、シミ取りしたい…とか、レディボーデン1人で食べたいとか
人様に迷惑をかける、誰かを傷付けてしまう、犯罪になってしまうなど…の理由がない限り、可能なことはやっていこう、それが今の自分の心にはあります
人間にはいろいろな面があります
知識を学ぶ、見聞を広める、、ということも大切ですが、、日常のくだらないと思っていることや些細な好奇心のなかにも、実は自分の心を満たしてくれるものが隠れていると思います何より楽しい〜
自分のケア、大事ですバランス大事〜
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました