こんにちは雪だるまいつもありがとうございますにっこり


最近、強く感じることがあります。

それは、祈りには確かに力があるということハートのバルーン

祈りと言っても、目には見えないですし、形もなく、証明もされません。


なので、私は時々「これって本当に意味があるのか?妄想なんじゃないか?」と思うことがありました魂が抜ける

あるとき、自分の未熟さや弱さが邪魔をして祈れないときがありました。それは、自分の身近な家族が体調を壊して入院したとき。苦しい思いをしているとき(今こそ祈るとき)に、私は自分の怒りや不満な感情に心が震え、祈れませんでした怒り

余裕がありませんでした。胸をえぐられるような思いがあり、そんな自分を立て直すのに必死でした。


入院は長引き、退院までに2週間かかりました。
感染症の影響や持病があったことで、入院して数日間はほぼ病状が変わりませんでした。

間もなく1週間というときに、一気に状況が変わり、検査結果や治療も安定。家族は元気になり無事に退院しました。

そしてそのときに、裏で起こっていたことを、少し前に知りました。


自分の知らないところで、祈ってくれていた(護摩木祈願)方がいたことを。そして、その時から状況が快方に向かっていたことを確認しました気づき

その方の想いがちゃんと届いてるびっくりマーク炎という感動と同時に、様々な感情が巡り、胸が押しつぶされそうになりました。そして、自分の傲慢さを知りました

不満でいっぱいだった私は、家族の入院中『多分大丈夫でしょ…』そう思っていたけど、実際は思いもよらないところでの、周りの温かな行動や関わりのなかで、生かされていたことを知りました。

見えない存在の導き、周りの人たちの優しさ、言葉にされない思いやり。


そして、普段静かに祈っているあの時間。言葉にする訳ではないけれど、見えない存在の方々は、ちゃんと見ていてくださっているのだと感じました。

傲慢で、感情的で、自分のことしか考えられなかったそのときも、責めたり、否定するのではなく、静かに優しく見守ってくださっていたことに気付きました赤ちゃんぴえん


祈るという行為は、何かを手に入れるためのものだけではなくて、1人ではないということを受け入れているからこそ、できることだと思います。
そしてそこには深い愛があり、熱い想いや相手を思う心が詰まっているハートのバルーン

自分のなかにある光のようなものを差し出す行為。人としての優しさや、謙虚さを思い出させてくれます。


私自身の祈りも誰かに繋がっていきますように立ち上がる


世界が平和になりますように