「死んだ気になって生きる」
「死んだように生きる」
似ているが対極だ。
前者はポジティブ、後者はネガティブ。


おかしな話だが、今私は上の二つの狭間で揺れている。

人並みに、そこそこに、幸福になりたいと願ってここまできた。
自分なりに頑張ってきた。
だが、残念ながらその頑張りは報われているとはお世辞にも言えない。
ならば、

① 人生は一度きり、ありえないほどにめちゃくちゃ頑張ってみるしかない。
   ここまでどん底なら、もう底打ちしたはずだから、
  せせこましい幸福追求などやめて、大胆に勝負に出てみればよいではないか。
   このままで終わってたまるか

これが「死んだ気になって生きる」


② なにをやっても報われない。
   もうこの先、自分はどうあがいても人並みの幸せさえ手にすることなどできない。
   努力などむなしい。
   何も考えず、何もせず、早くお迎えが来るのをひたすら待っていればいいじゃないか。

これが「死んだように生きる」


体調、疲れ具合、気分の良し悪しで日によって①だったり②だったり。
病んでるな


この週末、3月の地震から半年ということで、テレビであらためて取り上げられていた。


何もかも根こそぎ奪った地震と大津波。
私の住んでいるところは、あの震災とは縁のない場所だが、
この先いつ来てもおかしくないといわれている例の地震とは大いに関係のある場所だ。
しかも、海から歩いて5分ほどのところ。


ひとごとではない。


この地に移ってきた頃、私は何度となく水難の夢を見た。
家の中が水で満たされ、家具が浮いている。そんな夢だ。
あの頃、なぜ、そんな夢を何度も見たのかいぶかしく思ったが、
今にして思うと、そのうち現実に起こるかもしれないのかな、と身震いしてしまう。
もちろん、私は霊感体質ではないし、予知能力もないけれど。


被災された方たちをテレビで見ていて思う。
なんと強いのだろうと。

もし、自分が直面したら、とても耐えられないと思う。
自分の愛する家族や、多くの知人が犠牲になり、
家を失い、仕事を失い、
そんな絶望の中、それでも生きていかなければならない。
私なら気が狂いそうだ。
乗り越える自信などまったく無い。
だから、仮設住宅で、避難所で、笑顔を見せる方たちに
人間として、とてもかなわないな、と思う。

時間が、癒してくれるかも知れない。
でも、悲しみは、薄らいでも消えることはない。

被災された方たち、身近な人を失った方たち、
震災前に時間を戻すことはできないけれど、
失ったものに見合うだけの幸せや祝福がありますようにと祈らずにはいられない。








今までの人生において散々な目にあっているが、
いまや唯一といっていいほどの財産が私にはある。


娘の存在だ。

こんな私にはもったいない位の娘なのだ。
いわゆる”気立てがいい”
ひかえめでおとなしく、争いを好まない穏やかな性格で、
一緒にいるだけでほっこりと心が安らぐような雰囲気を持っている。

まあ、おおよそ私と正反対の性格だ。

この子のおかげで、私は自分の存在をかろうじて肯定することができる。
この子の親であることが、心の支えだ。

そして、切に願う。
性格と同じく、母とは正反対の人生を送って欲しいと。