第1話【影男】
夜中の2時過ぎ。
とあるアパートの一室で俺はとっくに放送が終わり《ザー》と音が聞こえる砂嵐の流れてるテレビ画面を椅子に座りながらボ~っと眺めていた。
俺の名前は【赤嶺 さとる】
45歳 バツ1。
元リーマンで課長だった。
3ヶ月前にリストラされた。
今は無職。
ハローワークに通い詰めるがこのご時世にこの年齢で、ましてや何の資格も無い俺に仕事は簡単に見つかるはずもなかった。
ストレスで元々あった鬱も再発。
とめどなく溢れ出るネガティブな思考。
やる気が出ない。
とにかくダルい。
毎日浴びるほど酒を飲んで気を紛らわしても問題は一向に解決する訳も無く、妻は愛想を尽かして出て行った。
妻はバブル全盛期の頃に知り合った派手な女で、金を貢いだり足に使われた挙げ句に何とか結婚までこぎつけた。
しかし妻は昔から金使いが荒く、バブルが弾けて40を過ぎた今でもそれは変わらなかった。
妻の浪費癖が祟り俺は借金までしてしまったのだが、それでも俺は妻が好きだった。
だが妻は俺が会社をリストラされたらあっさり俺を捨てた。
嫌な事ばかりだったが20年以上も耐えて働いて来た会社もあっさり俺を捨てた。
残ったのは借金と重ねた年の数だけだった。
とりあえず今日か明日にはぼちぼち死のうかと思っていた。
『お前より辛い奴はもっといるから甘ったれてないでもっとやる気出せ!』って言う奴もいるだろうが、もうどうでも良い。
…しかし本当は決して死にたい訳じゃなくどうしようも無いから死ぬのだ。
死なずに済むのなら死にたくない。
俺『…何か良い事ないかなぁ…こんな嫌な現実からどっかに行きたいだけなんだけどなぁ』
ふとテレビを見ると画面に黒い人型の影が揺らめいているのが見えた。
俺『何だ?放送は終わってるはずなのに…何かの実験か?』
すると砂嵐の中の黒い影が色濃くなり、はっきりとした真っ黒い人型になった。
耳と鼻らしき物はついてたが、目と口は無いぬっぺら坊だった。
俺『…さっき吸ったクサと酒のチャンプルーが効いたかな?』
しかしそれで幻覚を見た事は今まで1度も無かった。
影男{訪ねに来ました}
俺『え?』
影男{訪ねに来ました}
俺『…ヤバい…とうとう幻聴まで聞こえるようになったか…』
影男の声は抑揚の無い無機質で低い男の声だったが、どこか不気味で機械的でもあった。
影男{良い所にご招待します}
俺『何処だ?』
影男{【ニライカナイ】と呼ばれてる場所です}
俺『…ニライカナイって聞いた事ある…確か沖縄の海の向こうにあると言う伝説の異世界の事か?』
影男{理想郷です}
俺『って事は良い所なのか?』
影男{素晴らしく生を実感できる所です}
幻覚にしてはやたらはっきりしていた。
俺は確かにこんな糞みたいな現実ならその素晴らしいと言うニライカナイに行こうかなとも思った。
…しかし何かが引っかかった。
俺『…ちょっと待ってくれ…急に言われても…』
影男{分かりました。では行きましょう}
俺『え!?』
その時 影男の顔がブラウン管から《にゅ~う》と出て来た。
俺『おい!?嘘だろ!?』
影男の上半身がブラウン管から出て来た。
そして影男の両腕が2メートルぐらい伸びて素早く俺の肩を鷲掴みにした。
俺はとっさに外そうとして影男の両腕を掴んだがとても強い力で外す事はできなかった。
影男の皮膚はとても冷たくざらついていた。
これは現実だと気づいた俺は急に恐ろしくなった。
俺『おっ…おい!待て!…ちょっと待ってくれ!ニライカナイって遥か海の向こうにあるんだろ!?い…今から海に行くのか!?』
肩を掴まれた俺は得体の知れない不気味な影男の存在にただただ恐怖で叫んだ。
影男{こちらからでも行けますよ}
影男は伸ばした腕を縮めながら俺を自分が出てきたテレビのブラウン管にずるずると引っ張った。
影男{【入り口はあちらこちらにあるんです】}
影男の腕力になす術も無く引きずられた俺はさらに怖じ気づいた。
影男{怖いですか?}
その時 無いと思っていた影男の口が開いた。
口の中は人間とほぼ変わらなかった。
ただ一つ、舌が気色悪い紫色だと言う点を除いては。
影男{あははは}
影男が笑った。
…こいつはこの世の生物じゃないと思った。
俺『待て待て待ってくれ!…ニライカナイってぶっちゃけあの世じゃないのか!?…嫌だ!行きたくない!』
影男{だめですよ。さとるさんさっき逝きたいって言ってたじゃないですか}
何故か影男は俺の名前を知っていた。
そして俺は既にテレビ画面の近くまでずるずると引きずられていた。
俺『…いや…でもこんな風に…!』
影男{さとるさんは生身の肉体のままの特別ご招待となります}
…俺はブラウン管の中に引きずりこまれた…