コインランドリーでミーティング -2ページ目

年末ですね。

思いっきり久しぶりにアメブロ開いてみたら、




なんとまあ、2011年3月13日以来ですね。




なんかすごく熱い内容でしたね、読み返してみると・・・。




昔は毎日日記を書いてたなあ。




とにかく言葉をひねり出していた。




これからまた続けようか。

その心意はなんだ?

やはりというか、

この大地震のことを日記やBlogにアップしている人は多い。

テレビも地震発生直後からCM抜きで放送している。

当然だろうと思う。

被災地にはとにかく情報が無い。

だが、情報を手に入れる環境ができるやもしれん。

すぐかもしれないし、まだまだかかるかもしれない。

でも、情報が欲しい時に情報を流し続けているところがあることが重要だろう。

「そろそろ他の番組を観たくなった。」という声を見かけた。

残念でならない。

おそらく被災地とはかけ離れている所に住んでいて、

もちろん過去に被災したこともないのだろう。

当事者であって、そのようなことを思えるはずがない。



僕は音楽をやっている。

ミュージシャンが何かできることはないか?

はっきり言って「無い」だ。

無名なミュージシャンが出来ることなんて何一つ無い。

「被災地に行って被災している人の気持ちを落とさないように歌を歌う?」

バカも休み休みに言ってもらいたい。

まあ、今んところそんな輩は僕の周りはいない。

安心だ。



仮に被災地で歌を歌うことを許される立場ってなんだろう。

おそらく、

被災地のミュージシャンだ。

または、過去に被災したことがあって、

その痛みや苦しみを知っている人達だ。

そして勿論、国民が誰しも知っているアーティストなのだろう。

そういう人達が歌いに行くことは、

確かに人々が元気になると思う。



ライフラインが整っている地において、

ライブハウスにて節電しながら歌う?

被災地に届けって?

何を?

届かないよ、そんなもん。

その時、被災地や被災者を思いながら歌っているのかい?

聴きに来た人達は被災の苦しみを感じながら聴いているのかい?

そんなはずはない。

「被災地に届け!」っていいながら、

酒飲んで、「いやー、ほんとこっちは無事でよかった。」なんて笑ったりしてしまうんだ。

歌う歌の全てが被災地への「がんばれ!」のメッセージかい?

ありえないから止めておきなよ。




「残念ながらライブは中止です。」なんて発言も、

被災していないから軽はずみに出てしまう言葉。

「当然ながらライブは中止。」なんだと思う。



ずーっとライブをやらないなんてことはない。

ただ、今はそういう考えって被災地との温度差がもの凄くあるんじゃないかって思ってしまう。



それでも、「俺は音楽をやるぜ!」

ってのはそれはそれでいいと思う。

ただ、何故今それをやるのかなって僕は思うのだ。



海外アーティストはあるグッズを作り、

それの売上を寄付金とするという。

これぞ、有名税で勝ち取る寄付金だ。

これはいいと思う。

ただ、「チャリティーコンサート」での寄付金には賛同しかねる。

コンサートの時に、アーティストとオーディエンスの気持ちが、

被災地のみんながんばれ!に向かわないはずだからだ。

単にコンサートを楽しんで終わるような気がしてならない。



長々と書いてしまったが、

僕だってライブはやりたい。

ただ、今日じゃないし、明日でもない。



おそらく、

音楽が出来る環境っていうのは、凄まじく贅沢な環境なのだ。



って、書いてたら、

なんとなくわかった。

「被災地に届け!頑張れ!」って言いながら、

ライフラインのしっかりしているところで音楽をやりたくないだけなんだな。

今は電力不足ってのもあるしね。






混乱してきたね。

批判も色々あろうが、

今日はそんな気分になったのだ。



ミュージシャンにしかできないことは、

安全な場所で歌うことではないと思うのだ。

ミュージシャンである前に、

人間としてやることがある。

日本人

すごいなと思う。

大地震が起きても譲り合いの精神は必ずあるんだな。

必要ないのは、長蛇の列のコンビニで肉まんを買い占めて行ったという、

これぞ「おばちゃん」ってのだけか。

自分の行動を省みていただきたいな。

日本人の生真面目さは、この大地震でも必ず多大な力を発揮すると思う。